飛鳥の歴史遺産はどんなところ?~斉明天皇・石造物を中心に~

奈良県の飛鳥地域(今回は明日香村を中心とする地域を指します)には、ご存知のとおり多くの歴史遺産があります。行ったことがある人も多いでしょう。

今回はその一部を紹介します(全てやったら何回かかるやら)。今回紹介するのは、飛鳥の歴史遺産の特徴の一つである石造物と、土木工事で有名な斉明天皇関係を中心とした場所です。

その他に定番の所も紹介するので、ちょっとマニアックですが、ぜひ最後までお付き合いください。

※紹介順序は観光で回る順ではなく、ジャンル別としています。

飛鳥をめぐるには?

さて、まずは飛鳥をどうめぐるか?です。飛鳥までは電車や自動車で行くことができます。

ただ、現地での移動については、自動車はあまりおすすめできません。なぜなら、駐車場が無い所も多く、駐車場があっても満車の場合があるからです。私が行った7月の土日、石舞台古墳やキトラ古墳は満車でした(それなりに流動性はあるので、待っていれば空くでしょうが)。

また、高松塚古墳駐車場は令和8年9月1日~令和12年(予定)、石舞台古墳は令和8年9月19日~11月15日の間、駐車できないようです。詳細は国営飛鳥歴史公園のホームページを御確認ください。

では、どうするのか?周遊バスも走っていますが、バス停は限られているので、一部の場所にしか行けません。ピンポイントで行きたい場合で、バス停があればバスが一番楽かもしれません。

そこで便利なのはレンタサイクルです。近鉄橿原神宮前駅や飛鳥駅の前にレンタサイクル屋があるので、電車で行ってレンタサイクルが良いと思います。駐車場がレンタサイクル屋の近くにあれば、自動車で行ってレンタサイクルもありです。

私が使ったのは、橿原神宮前駅東口すぐ(駅前ロータリーのすぐ北東)にある明日香レンタサイクルと、飛鳥駅前にあるレンタサイクルひまわりです。

どちらも一日1500円前後です(普通自転車と電動自転車で異なる)が、ホームページ掲載のクーポンを見せると200円割引になります。

レンタサイクルひまわりの方が少し安いですが、明日香レンタサイクルは飛鳥各地にいくつか営業所があり、そこで乗り捨てることができます(乗り捨て料金200円)。飛鳥駅前にも営業所があります。

一つ注意としては、飛鳥は坂道も結構あるので、電動自転車の方が断然楽です。普通自転車では結構大変です。自転車で回れる距離なのか?と思いますが、駅からでも十分行ける距離で、電動自転車であれば大丈夫です。

あと、夏は絶対に避けた方がいいです。私は今回7月に行きましたが、少し(いや、結構)後悔しています(笑)(←笑い事ではない)

飛鳥資料館

最初に行きたいのは飛鳥資料館です。ここでは飛鳥の基本的な事を学ぶことができます。最初にここで概要を知ってから各地をめぐると良いでしょう。ただ、橿原神宮前駅からは少し離れています(自転車で行ける距離です)。飛鳥の中では端っこの方にあります。

飛鳥資料館は、建物に入る前に、庭に多くの石造物があります。いずれもレプリカですが、この後紹介する石造物をここで一気に見ることができます。

亀石
猿石
人頭石
二面石
高取城跡の猿石
吉備姫王墓の猿石
石人像
亀形石造物
酒船石
須弥山石

この内、石人像と須弥山石は館内に実物があります。

資料館内は有料で、大人1人350円です。

飛鳥資料館の中は撮影していませんが、展示室では、飛鳥の宮殿、仏教伝来と蘇我氏、飛鳥の古墳、飛鳥の寺院、飛鳥の遺跡等について学ぶことができます。日本最古の貨幣である富本銭等の貴重な出土品も見ることができます。

また、蘇我入鹿の従兄弟である蘇我倉山田石川麻呂が建てた山田寺の回廊が一部復元されています。

では、いよいよ飛鳥の各地へ出かけましょう。

飛鳥の有名どころ

まずは有名どころをいくつか紹介します。私が今回石造物を中心に回った途中にあった所なので、有名どころ全てではありません。悪しからず…。

①飛鳥宮跡

まずは飛鳥の政治の舞台となった飛鳥宮跡です。飛鳥資料館からは南西に少し離れています。見た限り、ここには駐車場はありません。

政治の中心地は藤原京・平城京・平安京のように、1ヶ所で長く続いたイメージがあるかもしれませんが、飛鳥時代は点々としています。その中でも、この飛鳥宮跡では複数の宮が造営されました。

ここで造営されたのは、舒明天皇の飛鳥岡本宮、皇極天皇の飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)、斉明天皇の後飛鳥岡本宮、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)です。なお、皇極天皇と斉明天皇は同一人物です(2回天皇になった)。

皇極天皇の飛鳥板蓋宮は、中大兄皇子や中臣鎌足が蘇我入鹿を倒した乙巳の変(いっしのへん)が起きた場所です。そうです。ここが歴史的事件の舞台になった所です。なお、この事件は乙巳の変といい、その後に行われた改革政治が有名な大化の改新です。

現在見ることができるのは、かつての宮の北東部分と中央部分の一部です。北東部分と中央部分は少し離れています(自転車で1~2分)。上のグーグルマップは北東部分で、中央部分は下のグーグルマップです。

現在は建物はありませんが、建物の柱の跡が明示されています。

北東部
北東部

また、北東部では大型の井戸跡も見つかっています。

井戸跡

中央部分は飛鳥宮跡の内の正殿と呼ばれる建物跡です。この付近は天皇の私的空間と考えられています。

正殿跡

②飛鳥京跡苑池

続いては飛鳥宮跡の少し北西にある飛鳥京跡苑池です。ここも見た限り駐車場はありません。車が停められそうな区画はありますが、駐車場かは不明です。ここはトイレと休憩所(空調あり)があります。

飛鳥京跡苑池は、宮廷庭園の遺跡です。現在はあまり見てもわからない状態になっています。

現在の様子

当時の苑池は北池と南池に分かれており、2つの池の間には堤がありました。北池の北端からは水路が出ており、池の水を飛鳥川に排水していたと考えられています。水路・北池・南池まで含めると、範囲は南北約200mです。

南池の中には中島や流水設備が設けられていました。

飛鳥京苑池が造られたのは7世紀と考えられており、主に斉明天皇から天武・持統天皇の時期に儀式や饗宴で使用されたとされています。当時は中国や朝鮮でも苑池が造られていました。

現在の状態を見てもよくわかりませんが、休憩所内にあるパネル展示で詳細を知ることができます。

③水落遺跡

水落遺跡は飛鳥資料館から見ると南西に少し離れた所、飛鳥寺の少し北西にあります。駐車場はありません。

水落遺跡は、飛鳥時代に時間を管理するための漏刻台(ろうこくだい=水時計)が設置されていた所です。仕組みはややこしいので、説明は割愛します。下の図のような感じで、上から水を入れて、それが下の箱へ流れていき、時刻を知ることができたようです。

『日本書紀』には、中大兄皇子が660年に日本で初めて漏刻を設置したと記されています。

発掘調査では、ここから漏刻の部品、導水設備、排水設備が見つかっています。漏刻台の遺跡としては、ここが東アジアで現存する唯一の場所です。

右下から左上へ伸びるのが導排水設備

時間の管理というのは非常に重要で、天皇の特権の一つとなります。

④飛鳥寺

飛鳥寺は飛鳥資料館から南西に離れた所にあります。寺の東に駐車場があります。

飛鳥寺は今回紹介する中では有名でしょう。

『日本書紀』によれば、588年に蘇我馬子が法興寺の建立を計画し、4年後に金堂や回廊が完成しました。593年に塔が起工され、3年後には一応の建物が完成しました。これが飛鳥寺です。

605年(説明板では605年とあるが、パンフレットには609年とある)には大仏が造立され、翌年に安置されました。

日本最初の本格的寺院でしたが、仁和3(887)年と建久7(1196)年の火災で焼失しました。室町時代以降は荒廃しましたが、江戸時代の寛永9(1632)年と文政9(1826)年に再建され、現在に至ります。

本堂の中のみ有料で、大人1人500円です。ただ、中には飛鳥大仏があるので、拝観した方が良いと思います。

本堂

大仏は火災などで焼損し、当時のまま残っているのは頭部と右手のみです。そして、なんとこの大仏、重要文化財なのに撮影可能です。重要文化財が撮影できるなんで、あまり無い機会です。解説もしてもらえます。これは500円以上の価値があります。

飛鳥大仏

また、本堂の裏の中庭?には、南北朝・室町時代の石造物があります。

室町時代の宝篋印塔
南北朝時代の石灯籠

ちなみに、左上の写真の下に写っている石仏や一石五輪塔も戦国時代以前のものと思います。

⑤蘇我入鹿首塚

飛鳥寺のすぐ西(徒歩ですぐ)には、蘇我入鹿の首塚があります。飛鳥寺から歩いて行けます。

先ほど書いたように、飛鳥宮跡が蘇我入鹿が殺害された乙巳の変の舞台です。そこからこの首塚の所まで、蘇我入鹿の首が飛んできたと言い伝えられています。ちなみに、距離は600~700mぐらいあるかと思います(←まぁ、普通に考えて飛ぶわけない。言い伝えです)。

なお、上の写真の五輪塔は形式的には古いですが、乙巳の変当時のものではありません。日本で石の五輪塔が造られるのはずっと後の時代です。

首塚の隣には小さな広場があります。この場所は『日本書紀』に「飛鳥寺西槻」として登場する「槻(つき)の木の広場」とされる所です。

乙巳の変の前、槻(欅=けやき)の木の下で行われた蹴鞠の際に、中大兄皇子が勢いよく鞠を蹴って靴を飛ばしてしまい、それを拾った中臣鎌足と親密になったとされています。ここがその場所と考えられています。

飛鳥の古墳3選

続いては、飛鳥で有名な古墳を紹介します。石舞台古墳・高松塚古墳・キトラ古墳の3つです。

①石舞台古墳

石舞台古墳は飛鳥の中では南東に離れた所にあります。

石舞台古墳はその姿をイメージできるほど有名な古墳でしょう。有名なだけあって、駐車場はあるものの満車でした(初めに書いたように、令和8年9月19日~11月15日の間は駐車できません)。

ごった返すほどではありませんが、飛鳥の史跡の中では人が多い方です。

ここは有料で、大人1人500円です。後で紹介する亀形石造物との共通券は650円です。

石舞台古墳は下の写真のような姿をしています。

一緒に写っている人と比べても、その大きさがわかります。

さて、石舞台古墳の形ですが、こんな石が積み上がっている古墳は他に見たことがあるでしょうか?なぜこんな姿なのか?

実は、普通はこれらの石は古墳の中(土の中)に埋もれているのです。石舞台古墳は、古墳の上の方の土が無くなって、中の石(石室)が露出した状態なのです。石舞台の名前もこの姿に由来します。

石舞台古墳は6世紀末から7世紀初めに造られたことがわかっています。

古墳の形は四角形の方墳または、下段が四角形で、その上に円形が載った上円下方墳とされています。一辺は約55mです。周囲には周濠(堀)と外堤があります。

周濠

石室は、棺を安置する玄室(げんしつ)と、そこへ続く通路である羨道(せんどう)から成ります。石舞台古墳の玄室は長さ約7.8m、羨道は長さ約11.5mです。

羨道入口
玄室

人と比べると、非常に大きいことがわかります。

玄室の中にあった棺は失われていますが、葬られていたのは蘇我馬子(入鹿の祖父)というのが有力な説です。棺(石棺)は復元されています。

復元された石棺

②高松塚古墳

高松塚古墳は飛鳥の中では南西に離れた所にあります。駅では近鉄飛鳥駅が最寄りです。

高松塚古墳は壁画で有名な古墳です。駐車場は少し離れた所にあるので、そこから歩くことになります(初めに書いたように、令和8年9月1日から令和12年まで駐車不可となります)。自転車であればすぐ近くまで入れます。古墳の近くには高松塚壁画館がありますが、トイレは館内には無く、屋外(これも少し離れている)にあります。

結構人は多かったと思います。

高松塚古墳は7世紀末~8世紀初めに造られました。昭和47(1972)年に壁画が発見されました。壁画のある古墳は、日本では高松塚古墳とキトラ古墳の2つのみです。

壁画は保存のため、平成19年に取り出され、別の施設で保存管理されています。

鎌倉時代に盗掘されましたが、石室からは副葬品の一部等が出土しています。

また、現在の高松塚古墳は築造当時の姿に復元整備されています。古墳の周囲は遊歩道になっています。

高松塚古墳の横には高松塚壁画館があります。大人1人300円ですが、他に寺院等も回るならお得な券もあるようです(受付が混んでいたのであまり詳細は聞けませんでした)。

壁画館の中では出土品の他、壁画の模写を見ることができます。本物を見る機会は殆ど無いと思うので、模写とは言え、ここで見ることができるのはよいと思います。

模写は、現状のままの模写と、泥の跡を除いた状態の一部復元模写の2種類があります。

一部復元模写
一部復元模写
一部復元模写

③キトラ古墳

キトラ古墳は高松塚古墳から南の方にあります。近鉄壺阪山駅が最寄りです。駐車場はありますが、満車でした。ここも飛鳥の中では人は多かった方です。

キトラ古墳も壁画で有名ですね。高松塚古墳と同じく、7世紀末~8世紀初めに造られたとされています。上下2段の円墳で、下段は直径13.8mあります。

昭和58(1983)年に、高松塚古墳に次いで壁画が発見されました。この時発見されたのは、北壁の玄武でした。それから15年後の平成10年に青龍・白虎と天文図が見つかりました。更に平成13年には朱雀と獣頭人身十二支像が見つかりました。

その後、劣化していた壁画の保存のため、壁画の取り外しが行われました。壁画は現在、古墳の横にあるキトラ古墳壁画体験館四神の館で保存されています。

キトラ古墳もきれいに復元整備されています。高松塚古墳と違い、周囲を歩くことはできませんが、南側からは古墳のすぐ前まで行くことができ、広場もあります。

前述のように、古墳の隣にはキトラ古墳壁画体験館四神の館があります。

上の写真は古墳の隣にある1階入口です。古墳とは道を挟んだ反対側(西側)に駐車場があり、そちら側には別館(地下1階扱い)があります。別館からは道の下を地下通路で通って、古墳側の建物地下1階に移動できます。高松塚壁画館と比べるとかなり大きい施設です。

1階にも少し展示スペースがあります(撮影不可)が、1階は主に壁画の保存スペースと、特別公開スペースとなっています。

メインは地下1階で、展示スペースの他、別館に休憩所や売店があります。

展示スペースではキトラ古墳について詳しく学ぶことができます。四神や十二支像についてや、古墳・壁画の発見から保存管理に至るまでの過程が解説されています。

以上が飛鳥の3古墳になります。石舞台古墳では実際に石室に入ることができ、高松塚古墳・キトラ古墳では貴重な壁画と保存について学ぶことができます。

飛鳥の石造物

続いては、飛鳥の石造物を紹介します。前述のように、多くは飛鳥資料館で模造品が展示されています。

①須弥山石(飛鳥資料館内)

飛鳥資料館の庭に模造品が、館内に実物があります。写真は模造品の方です。

須弥山石は明治時代に石神遺跡から出土したものです。最初の須弥山石は推古天皇の時代に造られ、斉明天皇の時代には饗宴や儀礼の場である庭園施設で使われたとみられています。

須弥山(しゅみせん)とは、仏教において宇宙の中心にあるとされる山です。須弥山をかたどったとされるため、須弥山石の名前がついています。

この須弥山石は外部から取り入れた水を四方に噴き出す噴水になっています。内部の穴は水の流れを制御する仕組みがあり、噴水の勢いを調節できたようです。

②石人像(飛鳥資料館内)

飛鳥資料館の庭に模造品が、館内に実物があります。写真は模造品の方です。

須弥山石と同じく石神遺跡から明治時代に出土したものです。椀をすする男性の右腕に女性が抱きついている像です。中には円孔が貫通しており、男女それぞれの口から水が出る仕組みになっています。

③亀形石造物・酒船石(酒船石遺跡)

亀形石造物・酒船石は飛鳥寺の南東、万葉文化館の南隣にあります。駐車場は隣の万葉文化館を使うのでしょうか?

亀形石造物と酒船石は隣接していますが、亀形石造物は有料で、大人1人300円です。石舞台古墳との共通券は650円です。亀形石造物は公開時間(9~17時、12~2月は16時まで)があるので、要注意です。

亀形石造物と酒船石は合わせて酒船石遺跡とされています。酒船石遺跡は『日本書紀』の656年条にある「宮の東の山の石垣」にあたるとされています。実際にここには石垣も残されています(後述)。

亀形石造物は湧水施設から流れ出た水が舟形石槽に溜まり、そこから流れ出た水が亀の鼻に入って、亀の背中にあたる水槽に溜まるようになっています。

この場所は谷底で、周囲を石垣等で閉ざされ、水の流れを見て楽しむ構造ではないため、天皇祭祀に関わる場所と推定されています。

酒船石は、亀形石造物の入口を一旦出て、横にある階段を上っていきます。結構上まで上るので、覚悟?してください。

上り口

上って行く途中に、前述の石垣が少し残されています(復元・積み直し)。

この酒船石がある丘は、石垣が数段にわたって周囲を取り巻いていることがわかっています。

上まで上ると、やっと酒船石があります。酒船石は現状で長さ5.5m、幅2.3m、厚さ約1mという大きな石です。現状というのは、北側と南側(長辺の方)は江戸時代に切り取られているためです。

酒船石の上面には溝等が彫られていますが、その用途は酒を絞るためとも、油や薬を作るためとも、庭園施設(水を引く設備が見つかっている)とも言われています。

斉明天皇がここで作物の豊穣等を祈祷したとも言われています。

北側と南側(長辺の方)にある、切り取られた痕跡は下の写真です。

この逆台形のへこみは矢穴(やあな)というもので、石を割る時に使った道具の跡です。飛鳥時代のものではありません。

④弥勒石

弥勒石は飛鳥京跡苑池の北西にあります。駐車場はありません。

弥勒石は大きい石柱状の石です。目と口とみられる部分が少し造られています。

うーん、顔の輪郭はわかる。口は何となく。目はあの窪みか?って感じですね。

由来等の詳細はわかりませんでした。

⑤橘寺・二面石

二面石は橘寺の境内にあります。ここでは橘寺も簡単に紹介します。橘寺があるのは飛鳥宮跡の南西です。駐車場もあります。

寺ができる以前、この地にあった欽明天皇の別宮で聖徳太子が生まれたとされています。後に聖徳太子がここに橘寺を建立しました。創建当初は尼寺であったことがわかっており、日本最古級の尼寺です。

現在は残っていませんが、かつては五重塔もあったことがわかっています。その他にも金堂や講堂、回廊がありました。

また、境内からは塼仏(せんぶつ)が出土しています。塼仏とは、粘土の型に仏を表現し、焼いて作った板状の仏像です。橘寺は日本で初めて塼仏が使用された例です。

永正3(1506)年に多武峰の兵によって焼かれ、江戸時代には僧舎1棟のみと記されています。幕末の元治元(1864)年に現在の堂が再建されました。

西門
本堂
五重塔跡
金堂跡

今回は石造物がメインです。この橘寺には二面石があります。二面石は本堂に向かって左の方にあります。

二面石はその名のとおり、二つの顔が彫られています。飛鳥時代の石造物と考えられていますが、出土地は不明です。上の写真の左が悪面、右が善面とされています。

悪面
善面

⑥亀石

 亀石は橘寺の東方、明日香村役場の北西すぐの所にあります。小さな売店(小屋のような建物)の東隣にあるので、隠れていて、目の前に行くまで見えません。駐車場はありません。

亀石は結構大きな石で、よく見ると確かに亀のように見えます。顔はよくわかります。甲羅の縁どりもされています。

亀石が造られた目的はわかっていません。後で紹介する川原寺の四至(四方の境界)を示すという説もあります。川原寺はここから東の方、すぐの所にありました。

亀石が西を向くと、大和盆地は洪水になるという伝説があります。ちなみに、今は南西を向いています。

⑦吉備姫王墓・猿石

吉備姫王墓(きびひめのみこのはか)は近鉄飛鳥駅の北東、欽明天皇陵の南西に接してあります。欽明天皇陵へ南から入る参道の途中で西へ入ると、吉備姫王墓です。欽明天皇陵の駐車場に停めればよさそうです。

吉備姫王(きびひめのみこ)は孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の生母です。

今回の目的の石造物である猿石は右の写真に写っている、奥の柵の中にあります。柵の隙間から見ることができます。

吉備姫王墓の北東に欽明天皇陵がありますが、猿石は元々欽明天皇陵の堤に並べられていたと言われています。その後、埋もれてしまい、江戸時代に欽明天皇陵の南の田から掘り出されました。更にその後、吉備姫王墓に移されました。

庭園の装飾や王陵の結界石であったと推測されていますが、用途ははっきりわかっていません。朝鮮半島にあった国・百済にも似た石造物があることから、魔除けとして欽明天皇陵に置かれたという説もあります。

なお、ここには4体ありますが、もう1体、はるか南東の高取城跡にも猿石があります。築城時に運ばれたものとみられています。高取城へ上るのは大変そうですが、前述のように、模造品が飛鳥資料館の庭にあります。

⑧人頭石

人頭石は近鉄壺阪山駅の北東にある光永寺にあります。道を挟んだ反対側に駐車場があります。

人頭石は右の写真に写っている正面の門の奥……ではなく、正面の門の手前を左に入った庭のような所にあります。

入ると建物のすぐ横に人頭石があります。

人頭石は光永寺のある高取町内で見つかったものですが、伝来は不明です。

⑨岩船(益田岩船)

岩船は近鉄飛鳥駅の北西の方、離れた所にあります。橿原市立白橿小学校の西裏の山の上にあります。自転車を止めるぐらいのスペースはありますが、駐車場はありません。

飛鳥駅前から国道169号線を北に行き、右折して県道207号線に入って大きくカーブしながら坂を上り、国道169号線と近鉄の上を越えます。団地に入ったら、白橿小学校を目指し、小学校の前の道を北西へ通り過ぎて少し行き、左下の写真の所から入ります。写真の左に見えている階段を上ります。

入口
この階段を上る

階段を上ったら左へ曲がり、少し歩くと、山への上り口が見えてきます(右の写真)。右へ上がっていきます。

ここ右へ上って行く

道は延々と続きます。10分程上ります。

ここを上って行く

上りきると、少し道が平坦になり、その先に巨大な岩船が見えてきます。

岩船は「益田岩船」とも呼ばれます。その呼び方は後述のように、益田池に関するものという説に基づくとみられるため、ここでは単に「岩船」と表記しています。

大きさは東西11m、南北8m、高さ4.7mです。上面には幅の広い溝が彫られ、更にその中に四角い彫り込みが2つあります。

上面

岩船の下半分には、石の整形のためと推定される格子状の溝が刻まれています。

格子状の溝

岩船が造られた理由ですが、弘仁13(822)年にこの地に造られた益田池の碑の台座とする説が古くからあります。他にも墳墓説、占星台の基礎説、物見台説、斉明天皇の石室にするはずだったとする説、があります。

それにしても、この巨大さは行って実際に見ないと実感できません。山を上るのは大変ですが、一見の価値あり(あり過ぎ)です。

斉明天皇ゆかりの地

最後に斉明天皇ゆかりの地を見ていきます。既に今まで見てきた中では、

  • 飛鳥宮跡(皇極(斉明)天皇の飛鳥板蓋宮・後飛鳥岡本宮)
  • 飛鳥京跡苑池(斉明天皇の時代にも儀式等で使用)
  • 須弥山石(斉明天皇の時代にも庭園で使われた)
  • 酒船石(斉明天皇はここで作物の豊穣等を祈祷したと言われる)
  • 吉備姫王墓(斉明天皇の母・吉備姫王の墓)
  • 岩船(斉明天皇の石室にするはずだった説)

が斉明天皇ゆかりの地です。以下では、残るゆかりの地を紹介します。

①狂心渠(飛鳥東垣内遺跡)

狂心渠は「たぶれごころのみぞ」と読みます。斉明天皇は宮殿の東山に石垣(酒船石のある丘の石垣)を築くため、石材を運ぶための運河を掘らせます。これには3万人余りの人出を要し、天皇は人々に非難されました。狂心渠の名はこの非難によるものです。

しかし、この運河は農業用水路や敵の侵入を防ぐための堀として使うことも目的だったと考えられています。

飛鳥地域ではこの狂心渠の一部とみられる遺構が複数箇所で見つかっています。総延長は1㎞以上に及びます。その内の一つが見つかったのが飛鳥東垣内遺跡です。場所は飛鳥坐神社の入口の脇にあります。駐車場はありません(飛鳥坐神社の駐車場しかない)。

ただ、この遺跡は埋め戻されているため、遺構を見ることはできません。現地には説明板と小さな広場があるのみです。

②川原寺跡

川原寺跡は橘寺の北にあります。徒歩すぐです(順番的には川原寺跡の前を先に通ることになる)。駐車場はありません。

川原寺は天皇家の私的寺院として創建され、後に国家寺院に位置づけられました。天智天皇の時代に、斉明天皇の冥福を祈って建てられたと考えられています。斉明天皇は天智天皇の母です。

発掘調査の結果、東に塔、西に西金堂が建ち、中門から出る回廊がこれらを囲む形になっています。回廊の先には中金堂があり、中金堂のあった場所には現在は弘福寺があります。

中金堂の北には講堂と僧房がありました。

中門跡と回廊跡
塔跡
西金堂跡

③斉明天皇陵

斉明天皇陵は飛鳥の中心地から見ると、はるか南西にあります。結構遠いです(自転車なら行けます)。

山の上にあり、上り口は南側にあります。入口の所に宮内庁の「駐車ご遠慮ください」との看板がある広場があります。逆に斉明天皇陵へ行く人は駐車してよいのか?何とも判断はできかねます(多分何台か無断駐車されていましたが)。

右が駐車場かもしれない広場

上の写真の奥にある階段を上ります。斉明天皇陵まで約10分です。ちゃんと階段はありますが、かなり大変です。

斉明天皇陵の少し手前には大田皇女の墓があります。大田皇女は斉明天皇の孫で、天武天皇の妻です。

大田皇女の墓

大田皇女の墓から更に上ると、斉明天皇陵に着きます。

左上の石垣の所が斉明天皇陵

ここには斉明天皇の娘の間人皇女(孝徳天皇の妻)も合葬されています。

斉明天皇陵は宮内庁によって斉明天皇の墓とされていますが、実際は次に紹介する牽牛子塚古墳が斉明天皇の墓と言われています。

④牽牛子塚古墳

牽牛子塚古墳は近鉄飛鳥駅の西にあります。駐車場はありません。

古墳周辺は広く整備されており、なかなか全貌を撮影することができません。右の写真は南の道から撮影したものです。左上の白いものが牽牛子塚古墳です。

牽牛子塚古墳は前述のとおり斉明天皇の墓とされ、娘の間人皇女(孝徳天皇の妻)も合葬されていると考えられています。牽牛子塚古墳に接して越塚御門古墳があり、これが斉明天皇の孫の大田皇女の墓とされています。

斉明天皇は最後は朝鮮半島へ軍を送るために九州まで遠征し、その地で崩御しました(朝鮮へは渡っていない)。遺体は飛鳥まで運ばれ、葬られました。

牽牛子塚古墳は7世紀後半に造られた古墳で、通常の古墳とは異なる八角形(八角墳)で、3段になっています。八角墳は畿内で5基確認されており、天智天皇陵、舒明天皇陵、天武・持統天皇陵(以上3基は宮内庁により各天皇陵とされている)と牽牛子塚古墳、中尾山古墳です。

牽牛子塚古墳は斉明天皇の墓、中尾山古墳は文武天皇の墓と考えられており、飛鳥時代の舒明天皇から文武天皇までの歴代天皇(孝徳天皇・弘文天皇を除く)の墓は八角墳であったことが指摘されています。

八角形の「八」は天皇を中心に八方全ての国土を統治するという中国の世界観を表しているそうです。

埋葬施設は、1つの巨石をくり貫いて造られた2つの墓室からできています。巨石をくり貫いて墓室を造るのは中国や朝鮮には無い、日本独自の形態です。

牽牛子塚古墳も斉明天皇陵や岩船ほどではありませんが、上り坂・階段があります。

上って行くと、牽牛子塚古墳の手前に越塚御門古墳があります。越塚御門古墳は7世紀後半に造られた古墳で、四角形の方墳です。

下段手前が越塚御門古墳

牽牛子塚古墳の墳丘は復元され、コンクリートで固められています。コンクリートの姿にはちょっと違和感があります。

石室の入口も見ることができます。

古墳の位置からは遠くを見渡すことができます。ただ、高松塚古墳方面は見えますが、飛鳥の中心地を見ることはできません。ここに斉明天皇が葬られた理由は何なのでしょうか?

前述のように、古墳の周辺は広場や遊歩道が整備され、周りから・上から牽牛子塚古墳を見ることもできます。

古墳の横の広場には牽牛子塚古墳と越塚御門古墳の外観・内部の模型も展示されています。

夏に行ったので、上って歩いているだけで倒れそうでしたが(←完全に季節を間違った)、気候の良い季節に行けば、綺麗に整備され(コンクリ固めは違和感があるが)、とても気持ちのよい所だと思います。斉明天皇関係の場所(斉明天皇陵は遠いが)を巡った後に牽牛子塚古墳に行けば、斉明天皇に思いを馳せることができるかもしれませんよ。

今回なぜマイナーな?斉明天皇ゆかりの地を選んだのか?ですが、飛鳥の観光案内等を見ていて、意外に斉明天皇ゆかりの地が多く出て来たので、単にまとめて行ってみたくなったというだけです。

あまり知られていない天皇ですが、史上2人しかいない2回即位した天皇であり、有名な天智天皇(中大兄皇子)の母で、飛鳥にゆかりの地が多く残され、天皇としては異例の九州まで遠征したという天皇です。この機会に、ゆかりの地をめぐってみてはいがかでしょうか。


以上、ここまで飛鳥の歴史遺産を巡ってきました。今回紹介したのは飛鳥の歴史遺産の全てではありません。今回は2日かけて巡りましたが、とても全ては行けません。その中で、石造物と斉明天皇関係の場所を中心に行きました。

飛鳥には飛鳥寺や高松塚古墳、石舞台古墳等の有名な所もありますが、今回は少しマイナーどころに行ったつもりです。王道を行っても良かったのですが、せっかくならマイナーな所を紹介したかったので。皆さんもぜひ(王道どころも含めて)飛鳥をめぐってみてはいかがでしょうか。

※特に断りの無い限り、記事の内容は令和8年7月時点のものです。

《参考文献》

  • 『飛鳥女史紀行―斉明(皇極)女帝編―』(日本遺産「飛鳥」魅力発信事業推進協議会、)
  • 『岩波仏教辞典』(岩波書店、2023年)

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