日本史あれこれ 初見では読めない国名・上野と下野はなぜこの読み方になったのか 日本の旧国名には難しい読み方のものがあります。なかでも最難関なのが上野・下野ではないでしょうか。どう考えても、漢字と読み方が一致していません。それは、実は消えた文字があったからです。今回は、なぜこのような読み方になったのかを解説します。読め... 2025.05.23 日本史あれこれ
日本史あれこれ 藤堂高虎は豊臣秀長・秀保の死後も恩を忘れていなかった~江戸時代になっても秀長の法事を続け、秀保の母と交流~ 藤堂高虎と言えば、何度も主君を変えて出世した人物として、マイナスイメージを持たれがちです。しかし、豊臣秀長には秀長の死去まで15年、後継者・秀保にも秀保の死去まで仕えました。それだけではなく、秀長の没後は江戸時代まで秀長の法事を営み続けます... 2025.05.16 日本史あれこれ
史跡紹介 大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)はどんなところ? 歴史の授業で登場する大仙古墳(大仙陵古墳とも。以下「大仙古墳」と表記。)。昔は仁徳天皇陵と言われていましたが、今は大仙古墳と呼ばれます。それは何故なのか?どのくらい大きいのか?今回は大仙古墳がどんなところなのかを紹介します。なぜ名前が変わっ... 2025.05.09 史跡紹介
史跡紹介 桑名・熱田の七里の渡しと争った四日市・熱田ルート~十里の渡し~ 東海道五十三次の中で唯一の海上ルートとされる七里の渡し(熱田⇔桑名)。しかし、熱田を発着する海上ルートには「十里の渡し」というものもありました。これは熱田と四日市と結ぶルートでしたが、桑名を飛ばしたため、桑名と四日市の争いが起こります。十里... 2025.05.02 史跡紹介日本史あれこれ
史跡紹介 江戸時代の城郭~和歌山県新宮市の新宮城~ 前々回・前回は三重県の最南端地域にある戦国時代の京城、豊臣時代の赤木城を紹介しました。今回紹介するのは、そこから三重・和歌山県境の熊野川を隔ててすぐの和歌山県新宮市にある新宮城です。京城で技術的には未熟な石垣や枡形が見られ、豊臣氏の技術で築... 2025.04.25 史跡紹介
史跡紹介 豊臣氏の城郭~三重県熊野市紀和町の赤木城~ 前回、戦国時代の城として京城を紹介しました。石垣があるのは戦国時代の城では珍しいですが、積み方は野面積みという初期の技術でした。また、枡形も不完全なものでした。今回紹介するのは赤木城(あかぎじょう)です。赤木城は豊臣氏の勢力下で築かれ、石垣... 2025.04.18 史跡紹介
史跡紹介 戦国時代の在地の城郭~三重県紀宝町の京城~ お城と言えば、漆喰の壁や立派な石垣等の堅固で美しいものをイメージしませんか?それは日本に残る城跡ではほんの僅か、少数派です。大多数は戦国時代までに築かれた、土でできた城です。やがて江戸時代には石垣が発達し、枡形虎口と言われる堅固な出入口も設... 2025.04.11 史跡紹介
史跡紹介 鎌倉・室町時代の墓地・中世墓の風景とは?~三重県菰野町の杉谷中世墓~ 「中世墓(ちゅうせいぼ)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?その名のとおり、中世の墓地です。中世とは鎌倉~室町時代を中心とした時代です。中世に墓地として使用されたものの、現在は使われておらず、遺跡として残っている所があります。では、中... 2025.04.04 史跡紹介
日本史あれこれ 徳川家康の重臣・石川数正はなぜ出奔したのか? 2023年の大河ドラマ「どうする家康」でも登場した石川数正。石川数正のイメージの一つに、突然徳川家康のもとから豊臣秀吉のもとへ出奔した(寝返った)ことがあるでしょう。家康の重臣だった数正は、なぜ突然このような行動に出たのでしょうか。最近の研... 2025.03.28 日本史あれこれ
日本史あれこれ ひらがなの由来はくずし字を見ればわかる~あ・い・う・え・おの由来~ 今のひらがなの由来は漢字です。漢字のくずし字からひらがなができています。くずし字は、文字自体は今と同じですが、形がくずれていたり、続き書きしたりという文字です。今回はくずし字と、あ行のひらがなの由来となった文字を紹介します。くずし字とはくず... 2025.03.21 日本史あれこれ