日本史あれこれ 東福門院徳川和子の入内1~紆余曲折の入内交渉~ 江戸時代の初め、徳川将軍家から朝廷へ輿入れ(入内=じゅだい)した女性がいました。女性の名は和子。徳川家康の孫で、秀忠と江与の娘です。朝廷・幕府の融和政策としての入内構想から実際の入内までは長い年月を要し、紆余曲折がありました。和子は後水尾天... 2025.01.17 日本史あれこれ
日本史あれこれ 大化の改新=蘇我入鹿を討った事件ではない?~乙巳の変と改新の政治~ 大化の改新とは、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した事件。というのは正確ではありません。この事件には別の名があります。大化の改新とはこの事件を指すのではなく、この事件の後の一連の政治改革を指す言葉です。今回はこの事件の経過と大化の改新の... 2025.01.10 日本史あれこれ
日本史あれこれ 「子・丑・寅=干支(えと)」というのは正しくない?~ちょっと複雑な仕組みと還暦・甲子園・あの戦い・あの革命~ あけましておめでとうございます。今年(令和7年)は巳年ですね。正確には乙巳の年です。みなさんも聞いたことがある干支(えと)。子・丑・寅のことが干支(えと)だと思ってしまいますが、実は子・丑・寅だけでは「支」でしかありません。「干」の方も含め... 2025.01.03 日本史あれこれ
史跡紹介 三重県桑名にある徳川四天王・本多忠勝ゆかりの地とは?2~浄土寺・多度大社~ 前回は本多忠勝ゆかりの地の内、桑名城と桑名宗社を紹介しました。今回は続いて忠勝の菩提寺である浄土寺と、忠勝が再興に尽力した多度大社を見ていきます。浄土寺~本多忠勝墓所~桑名宗社の拝殿前の広場から北へ向かうと小さな門から道へ出ることができます... 2024.12.25 史跡紹介
史跡紹介 三重県桑名にある徳川四天王・本多忠勝ゆかりの地とは?1~桑名城跡・桑名宗社~ 以前に三重県桑名市が徳川四天王・本多忠勝の最後の領地であり、終焉の地であることを紹介しました。では、その桑名にはどんな忠勝ゆかりの地があるのでしょうか?今回と次回で見学ルートも含めて紹介します。忠勝と桑名の紹介は下記の記事を御覧ください。桑... 2024.12.20 史跡紹介
日本史あれこれ 藤堂高虎は7人の主君に仕えたが、転職は良くないのだろうか?~変な回数カウント再び!&情の高虎~ 今回は主君・豊臣秀長没後のお話で、一応6人目とされる豊臣秀吉に仕えます。前回に引き続き、「7人」のカウントがおかしなことになっています。そして最後の主君徳川家康が登場します。最後に、高虎の退職理由を改めて振り返りますが、高虎が見限った主君は... 2024.12.15 日本史あれこれ
日本史あれこれ 藤堂高虎は7人の主君に仕えたが、転職は良くないのだろうか?~ケンカっ早い高虎と運命の出会い~ 以前に少し藤堂高虎の話をしましたが、今回は現代の高虎の悪い評判について考えてみたいと思います。長くなるので、2回かに分けて書いていきますが、結論を言うと、別に悪くはないと思います。1回目は高虎が仕えた1~5人目の主君について見ていきます。何... 2024.12.10 日本史あれこれ
史跡紹介 三重県伊勢市に残る名ピッチャー沢村栄治ゆかりの地とは?~戦争に翻弄されたエース~ プロ野球で沢村賞という賞を聞いたことがあるでしょうか?優れたピッチャーに与えられる賞で、現在も続いています。この沢村賞の由来となったのが、戦前のプロ野球選手でピッチャーの沢村栄治です。そんな沢村栄治の出身地は現在の三重県伊勢市です。伊勢市に... 2024.12.05 史跡紹介日本史あれこれ
史跡紹介 織田信長・明智光秀・羽柴秀吉と細川藤孝・忠興父子〜永青文庫の古文書から〜 細川藤孝・忠興と言えば、戦国時代でも有名な細川氏の当主です。細川氏は織田信長・豊臣秀吉・家康等に仕え、最後は熊本藩主となりました。ところで、細川氏が仕えた主の一人・信長と言えば、家臣に厳しいことで知られていますが、細川藤孝や忠興は信長の信頼... 2024.11.30 史跡紹介日本史あれこれ
日本史あれこれ 徳川四天王・本多忠勝の最後の所領・桑名~猛将の終焉の地~ 徳川四天王として名高い本多忠勝。少し戦国時代が好きな人ならまず知っている武将でしょう。数多くの戦いに出て、生涯で傷一つ負わなかったという猛将です。関ヶ原の戦いが終わり、平和な時代になった後、忠勝は伊勢国桑名(今の三重県桑名市)に転封となりま... 2024.11.26 日本史あれこれ