史跡紹介

江戸時代の城郭~和歌山県新宮市の新宮城~

前々回・前回は三重県の最南端地域にある戦国時代の京城、豊臣時代の赤木城を紹介しました。今回紹介するのは、そこから三重・和歌山県境の熊野川を隔ててすぐの和歌山県新宮市にある新宮城です。京城で技術的には未熟な石垣や枡形が見られ、豊臣氏の技術で築...
史跡紹介

豊臣氏の城郭~三重県熊野市紀和町の赤木城~

前回、戦国時代の城として京城を紹介しました。石垣があるのは戦国時代の城では珍しいですが、積み方は野面積みという初期の技術でした。また、枡形も不完全なものでした。今回紹介するのは赤木城(あかぎじょう)です。赤木城は豊臣氏の勢力下で築かれ、石垣...
史跡紹介

戦国時代の在地の城郭~三重県紀宝町の京城~

お城と言えば、漆喰の壁や立派な石垣等の堅固で美しいものをイメージしませんか?それは日本に残る城跡ではほんの僅か、少数派です。大多数は戦国時代までに築かれた、土でできた城です。やがて江戸時代には石垣が発達し、枡形虎口と言われる堅固な出入口も設...
史跡紹介

鎌倉・室町時代の墓地・中世墓の風景とは?~三重県菰野町の杉谷中世墓~

「中世墓(ちゅうせいぼ)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?その名のとおり、中世の墓地です。中世とは鎌倉~室町時代を中心とした時代です。中世に墓地として使用されたものの、現在は使われておらず、遺跡として残っている所があります。では、中...
日本史あれこれ

徳川家康の重臣・石川数正はなぜ出奔したのか?

2023年の大河ドラマ「どうする家康」でも登場した石川数正。石川数正のイメージの一つに、突然徳川家康のもとから豊臣秀吉のもとへ出奔した(寝返った)ことがあるでしょう。家康の重臣だった数正は、なぜ突然このような行動に出たのでしょうか。最近の研...
日本史あれこれ

ひらがなの由来はくずし字を見ればわかる~あ・い・う・え・おの由来~

今のひらがなの由来は漢字です。漢字のくずし字からひらがなができています。くずし字は、文字自体は今と同じですが、形がくずれていたり、続き書きしたりという文字です。今回はくずし字と、あ行のひらがなの由来となった文字を紹介します。くずし字とはくず...
日本史あれこれ

継体天皇の皇位継承と上村松園「花がたみ」に秘められた恋物語

日本の古代、聖徳太子よりも前の時代に、皇位継承が危機に瀕したことがありました。結果として即位したのは継体天皇です。しかし、その皇位継承には疑問も出されています。そこにはどんな説があるのか?全てではありませんが、その一部を紹介します。また、こ...
日本史あれこれ

五節供(五節句)とはいつなのか?~人日・上巳・端午・七夕・重陽~

「五節供(五節句)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?上巳(ひな祭り)・端午・七夕が特に有名です。あと2つは人日と重陽です。これはどのような節供(節句)なのでしょうか?今回はそれぞれの節供(節句)について紹介します。「節句」と「節供」...
史跡紹介

時宗本山・清浄光寺(遊行寺)はどんなところ?2

神奈川県藤沢市にある時宗本山の清浄光寺。前回は一遍や2代真教の説明が長くなったので、境内の紹介が少ししかできませんでした。今回はその続きです。まだまだ多くの見どころがあります。清浄光寺境内~中雀門から藤堂彦子の墓まで~前回最後に書いた宝物館...
史跡紹介

時宗本山・清浄光寺(遊行寺)はどんなところ?1

神奈川県藤沢市の清浄光寺。鎌倉時代に踊念仏で有名な一遍に始まる時宗の本山です。実は創建したのは一遍ではなく、4代目の上人の時です。そんな清浄光寺はどんな寺院なのでしょうか?今回と次回は、そんな清浄光寺の境内や文化財を紹介したいと思います。併...