碓氷峠鉄道文化むらとその周辺~穴場の鉄道スポット?~

鉄道博物館と言えば、大宮の鉄道博物館、名古屋のリニア・鉄道館、京都鉄道博物館が有名です。それらには及びませんが、群馬県にも鉄道博物館と言ってもよい所があります。

その名は「碓氷峠鉄道文化むら」。長野県の軽井沢とは山脈を挟んで反対(東)側、群馬県の横川(安中市)にあります。

あまり知られていない(と勝手に思っている)碓氷峠鉄道文化むら。なぜここにあるのか、周りには他に何があるのか。今回は碓氷峠鉄道文化むらとその周辺を紹介します。

アクセス

最初にアクセス(鉄道の場合)を書いておきます。JR高崎駅から信越線の横川行に乗り、終点・横川で降ります(高崎―横川は約35分)。現在は終点ですが、長野新幹線開業まではここから山を越えて長野県の軽井沢まで信越線が繋がっていました。

駅の外へ出ます。駅舎はこんな感じです。

駅舎を出て左へ行きます。広場をまっすぐ突っ切り、下の写真の場所を奥へ入って行きます。

ここを奥へ進む

駐車場があるので、そこを左前の方へ抜けると交差点があります。交差点の左前の方に碓氷峠鉄道文化むらの入口が見えます。

奥に見えるのが入口

入口(多分、遊園地よりも小規模)で入園券を買って中に入ります。

なお、この交差点では碓氷峠鉄道文化むらから伸びている線路が道路にあります(ただし、交差点上はフタがされている)。この線路はまっすぐ横川駅の方へ繋がっています。

碓氷峠鉄道文化むらから伸びる線路
横川駅の方へ伸びる線路

入園~ゲート内広場

最初に園内の地図を載せておきます。これは入口を入って正面のアーチ状の橋?(上には線路が通っている)の柱にあるものです。

左の方の柱に地図がある

アーチ橋よりも手前、入口のゲートを入ってすぐ左に、小さな神社の鳥居があります。その手前の地面に鉄道文化むらデザインのマンホールがあります。マンホールのフタコレクターの人はどうぞ。

アーチ橋をくぐる前、右の方には最初の車両が展示されています。

この車両はディーゼル車のGA100です。新幹線の線路で、運行開始前に走って、線路の異常の有無を確認するための車両です。

GA100

さて、いよいよ中に入って行きます。アーチ橋をくぐると広場があります。ここでは売店で軽食も販売されています。

最初に入ってきたアーチ橋
売店

入口から広場に入って来て左の方に右の写真のような鐘(写真の左上)があります。

めぐり愛の鐘と名付けられていますが、元々は約100年前に旧横川機関区で仕事の始まりと終わりを知らせていた鐘です。長い間行方不明だったようですが、鉄道文化むら建設工事の時に発見されたとのことです。

この鐘の右に鉄道資料館があります。園内を見る前にここを見学した方が、碓氷峠と鉄道の歴史について知ることができるので、よいと思います。

鉄道資料館

鉄道資料館

資料館はそれほど大きくはありません。見学するには丁度よいぐらいです。

1階には鉄道ジオラマがあります。毎時30分になると、自動的に運転と解説が行われます。それ以外の時は1回100円で運転もできるようです。

2階へ上がる階段には碓氷峠のアプト線に関する展示があります(2階にもある)。

ここ横川から碓氷峠へと登る線路は、かつてアプト式と呼ばれる方式をとっていました。峠へ上る線路は当然ながら登り坂です。そしてその坂は鉄道としてはかなり急な坂でした。勾配(傾き)は66.7‰(パーミル)で、これは1000m進む間に66.7m高くなるというものです。これは鉄道としては登るのが困難な角度です。後ほど、屋外展示でこの傾きを見ることができます。

ただ、資料館の展示によると、「最急勾配は66.7‰ですが、部分的には68‰のところもありました」と。どういうこった?よくわかりませんでした(笑)が、とにかく急ということです。

長野新幹線開業と共に碓氷峠越えは廃線となりました。現在の最急勾配はJR奥羽本線板谷峠の38‰なので、碓氷峠がいかに急であったかがわかります。

明治時代に、まず横川から東(高崎方面)と、山を挟んだ反対側の軽井沢から西(長野方面)が開通しました。しかし、碓氷峠を越える区間は未開通でした。横川・軽井沢間の標高差は553mあり、ルートが決まらなかったようです。

明治24(1891)年になってルートが決まると共に、急勾配への対応としてアプト式を採用することになりました。開通したのは明治26(1893)年です。

アプト式とは、ドイツの山岳鉄道で使用されていた方式です。通常の線路は左右2本ですが、アプト式はその2本の線路の中央にラックレールという歯形の軌条(歯形の付いた線路のようなもの)を設置し、機関車の車体下に取り付けられた歯車とラックレールを噛み合わせて走ります。

線路を使うだけではなく、ラックレールと車両の歯車を噛み合わせることにより、急勾配を登り下りすることが可能となったのです。

資料館の展示では、碓氷峠の開通とアプト式鉄道の歴史を知ることができます。

しかし、時代が明治・大正・昭和、そして戦後へと移り、輸送需要が急増して、アプト式では対応できなくなってきます。なぜなら、アプト式の平均時速は16㎞だったからです。昭和34(1959)年、アプト式の廃止と、粘着式という新方式への切替えが決まりました。工事が終了し、粘着式へ移行したのは昭和38(1963)年9月末でした。これで開通から70年間続いたアプト式は終了しました。

この粘着式による運転ではEF63形電気機関車が活躍しました。後ほど、展示車両で見ることができます。昭和41(1966)年には長野と東京上野を結ぶ特急あさまが運転を始めました。

展示ではこのEF63形電気機関車や平成9(1997)年の廃線までの歴史も知ることができます。

最後には碓氷峠の廃線直前に作られたさよならヘッドマークも展示されています。

鉄道展示館

資料館を出て正面、広場の反対側にはアプト式のラックレールが実物展示されています。この線路の傾きは実際の66.7‰になっており、峠越えの急勾配を実際に見ることができます。

これを見ると、「大した坂道じゃないじゃん?」と思いませんか?人や自動車なら難なく登れそうです(人は少しキツい?)。でも、坂に弱い電車にとって、この勾配は大敵です。

大阪・京都・奈良・三重を中心に走る近畿日本鉄道(近鉄)は、三重から奈良にかけて山を越える区間が続きます。勾配は30‰余りで、この勾配をぐんぐん登って行く近鉄はすごいとよく言われます。30‰ですごいと言われるので、2倍以上の66.7‰はとんでもない坂です。

上の写真にあるように、このアプト式線路の先には特急あさま(クハ189)が展示されています。中にも入れます。

クハ189

あさまの左側の建物(鉄道展示館)内には電気機関車が展示されています。この建物はかつて車両の検査や修理等をしていた建物です。

鉄道展示館

ここにあるのはEF63とEF62です。運転席にも入れます。

EF63
EF62

EF63の横には運転シミュレーターもあります。EF63の本物の運転台を使っているそうです。1回1,000円です。

EF63・62の奥に進むと、右の方には電気機関車のED42が展示されています。ここに展示されているのは、ED42の中でも昭和9年に製造された、アプト式電気機関車の国産第1号機です(それまでの電気機関車は輸入)。

車両の下部にはアプト式のラックレールと噛み合わせとなる歯車が見えます。

この建物内には、他にも駅の行先案内(いわゆるパタパタ)、ヘッドマーク、踏切の警報器、信号機が展示されています。「日本海」・「ゆうづる」のヘッドマークとか、いいですねぇ(←図鑑でしか見たことない特急)。

屋外展示場

建物の奥から外へ出て、右前方の坂を上がると、屋外展示場に出ます(左の方から回って行っても行ける)。

ちなみに、この碓氷峠鉄道文化むらの外周には「あぷとくん」という列車が走っています。外に出ると横を走っていくのが見えます。

あぷとくん

あぷとくんは、屋外展示場の端に乗り場があります。大人(中学生以上)500円、子ども300円です。9時30分から16時代まで概ね30分間隔で運行しています(12時発の次は13時30分発なので注意)。

また、あぷとくんよりも短い範囲でミニSLも走っています。こっちは完全に子ども向けです。大人(中学生以上)300円、子ども200円です。乗り場はあぷとくんの隣です。

走っているのを見たら、土曜日でも、あぷとくんもミニSLも結構すいてましたよ。

さて、屋外展示場に出ると、多数の車両が展示されているのが見えます(一部エリアは見えるだけで、入れないので注意)。

ここは遠くから見るだけのエリア

ここからは、いくつかの展示車両を紹介します。

まずは上の写真にもあるデゴイチ(D51蒸気機関車)です。当初は貨物用でしたが、旅客列車も牽引しました。製造数は1,115両です。説明板には「ベストセラー機」と書かれていました。なかなかうまい表現。

D51

D51から向かって右にあるのは除雪車のDD53です。このDD53は大出力除雪用ディーゼル機関車です。しかし、大出力が良いかと思いきや、投雪(大出力なので、多分雪を飛ばす勢いがすごい)で民家や電柱に被害を出してしまうため、活躍の場は山岳地帯になってしまったそうです。悲しい・・・。

とはいえ、除雪車を間近で見ることはなかなか無いので、結構な迫力でした。

DD53

続いて、D51の後ろに連結されているのはマイネ40です。戦後の日本占領期の進駐軍用の車両です。1等寝台車で、車内は半分が個室だったそうです(現在は中は見えない)。当時としては珍しい空調設備もありました。

マイネ40

D51から向かって左には電気機関車のEF80があります。常磐線用に作られた機関車で、特急ゆうづる等を牽引しました。

EF80

次はキハ20です。全部で1,126両が製造され、全国で活躍した車両です。現在は数両を残すのみだそうです(←「現在」は説明板が設置された時点なので、まさに今現在は何両残っているのやら・・・)。

キハ20

次はキハ20の横にある電気機関車のEF60です。九州のブルートレイン等を牽引しました。車体側面にクリーム色の特急帯が付いているのが特徴です。現在は全て廃車になっています。

EF60

このEF60と入れ替わるように出てきたのが、後ろにいるEF65電気機関車です。昭和40~54(1965~79)年に308両が製造されました。当時の高速列車を一手に牽引し、貨物では初の時速100㎞を出しました。

EF65

次は先ほど資料館の展示で出てきた補助電気機関車のEF63です。そうです、アプト式に代わって登場し、碓氷峠越えで活躍した、碓氷峠専用の機関車です。ここに展示されているのは先行試作車です。

66.7‰(パーミル)という急勾配を登り下りする上で必要な、いくつかの保安装置があります。例えば、勾配抑速用の発電ブレーキ(←仕組みがわからない)、列車暴走を防ぐための過速度検出装置や非常用ブレーキ等です。

EF63は長野新幹線が開業して碓氷峠の路線が廃線となるまで活躍しました。

EF63

EF63の2つ後ろに連結されているのはEF62です。EF63は補助機関車でしたが、こちらは補助される側の機関車です。EF63と同じく、碓氷峠のアプト式廃止に伴って製造され、碓氷峠で旅客・貨物列車を牽引しました。

急勾配を越えるために、動力が効率良く線路に伝わる装置や空転(車輪の空回り)防止装置、勾配抑速用の発電ブレーキ等がありました。

EF62

次は電気機関車のEF15です。旅客列車用として202両製造されました。勾配区間の多い上越・奥羽線で活躍しました。

EF15

次は電気機関車のEF58です。東海道・山陽・東北線等で活躍しました。他の電気機関車とは少し形が異なり、流線形をしています。これは後に改造された姿です。

特急「はと」・「つばめ」を牽引し、日光線ではお召列車(天皇が乗車する列車)を牽引しました。

今回私が行った時には、正面に国旗が飾り付けられた、お召列車仕様でした。写真を撮っている人も何人かいました。

EF58

EF58の横にあるのは電気機関車のEF30です。関門トンネル専用機関車です。本州側は電流が直流、九州側は交流でしたが、この機関車はその切り替えができるものでした。

車体が他と違ってステンレスなのは、海水による塩害・腐食を防ぐためです。

EF30

最後はクハ189です。入れないエリアにあるので、遠景だけですが。信越線で特急あさまとして活躍しました。EF63電気機関車と協調運転(機関車に牽引されるだけではなく、クハ189もモーターで車輪を動かして動力を生み出す)を行いました。

クハ189

隣にはEF63も2両並んでいます(奥にあるのもEF63なのかは不明)。

EF63

以上、主な展示車両を紹介しました。碓氷峠は電気機関車が活躍した場だったからか、電気機関車の展示が多かったように思います。電気機関車が好きな人には格好の展示でしょう。私はそこまで電気機関車に惹かれないのですが・・・。でも、大宮の鉄道博物館や京都鉄道博物館にあったEF66は顔がカッコいいので好き。

↓コレ

まとめ

ここまで碓氷峠鉄道文化むらを見てきました。どうでしたか?さすがに大宮・京都鉄道博物館やリニア鉄道館には及びませんが、ここも十分楽しめる展示です。

ここの良い点は、混み合ってない(私が行ったのは4月の土曜日)ので、ゆったりと見れて、写真も撮りやすい(他人が写り込みにくい)ことです。また、広さも丁度良いので、全部見てもそれほど疲れません。ゆ~っくり見ても2時間かかりません。

東京から高崎まで新幹線で1時間前後、高崎から横川まで信越線で30分ちょっと、横川駅から歩いてすぐという好立地です。後で紹介する横川の釜めしもあります。ぜひ行ってみてはいかがでしょうか?

最後に、周辺のちょっとした観光地を紹介します。

周辺スポット

横川駅前

横川駅前にも鉄道に関するモノがあります。

まず、横川駅は関東の駅百選に認定されています。

上の写真の左端にも写っていますが、駅の出入口の横には車輪が展示されています。

これは何度か出てきた、碓氷峠越えで活躍した電気機関車EF63の動輪です。まさにこの車輪(動輪)で急勾配を越えていったのです。

もう一つ、EF63以前に碓氷峠を越えるために必要だったのはアプト式でした。アプト式は機関車の下の歯車と、線路の間のラックレールを噛み合わせて急勾配を登り下りします。横川駅前にはこのラックレールを利用したモノがあります。

駅前広場から、峠の釜めし(次に紹介)で有名な「おぎのや」の前の道に入る所に、溝のフタがあります。このフタ、何か変な模様です。

一見するとわかりませんが、これは元々ラックレールでした。それを再利用して、溝のフタにしてあります。ラックレールが横向きになった形です。

おぎのや(峠の釜めし)

さて、横川で有名なのは峠の釜めしです。販売しているのは「おぎのや」というお店で、横川駅の目の前にあります(他にも支店があります)。

私が行ったのは4月の土曜日の昼12時でした。店内の席数はかなり少なく、ちょうど満席でした。ただ、15分ぐらい待てば入れました。その後も店内は空いていった(たまたま?)ので、それほど混まないのかもしれません。意外でした。

さて、峠の釜めしは定食(味噌汁・餡餅・漬物セット)で1,700円です。ちょっと高めな気もするけど、おいしかったし、満足。

店内には具材の説明も掲示されています。

なお、釜めし(漬物付)だけであれば1,400円で、持ち帰り可能です。駅前広場には簡易的なテーブル・イスが少しあり、そこで食べることができます。土曜日の昼12時代でも席はありました。

店が満席で、すぐに食べたい場合は持ち帰り用を買って、駅前で食べるのもアリです。

横川駅の駅舎横にも釜めしの販売所があります(下の写真の右端)。

駅の外向きとホーム向きの窓口があるので、改札内・外のどちらからでも買えます。でも、ホームで買って、電車内で食べるのはあまりおすすめできないかも。なぜなら、電車は全てロングシートで、上下に横にかなり揺れるからです。

また、店舗の向かい側には、おぎのやの資料館もあります(私は時間が無かったので、見れませんでした)。

碓氷関所跡

最後は碓氷関所跡です。横川駅前、又は碓氷峠鉄道文化むらの前から北へ少し行くと、東西の道(旧中山道)に出ます。碓氷関所は中山道にありました。この道を西へ行くと、関所跡があります。10分足らずで着きます。

最初に見えるのは東門の跡です。

東門跡

東門跡の少し先、道の右側の上方に関所跡があります。なお、反対側(西側)からも上がれます。

西側入口
東側入口

上は少し広場のようになっています。ここには関所の門が復元されています。門柱と門扉は当時のものだそうです。

最初の碓氷関所は平安時代の昌泰2(899)年に設置されました。盗賊取り締まりが目的だったようです。

現在地に移されたのは江戸時代の元和9(1623)年です。この場所は碓氷峠山麓の3つの川が合流し、山が迫る要害の地でした。

関所には東西に門があり、その間に番所等がありました。パンフレットにあった図を載せておきます。

関所が廃止されたのは明治2(1869)年でした。

広場には、小さいですが資料館もあります。関所に関する史料や関所の模型が展示されています。

※光の反射の都合で、上の図とは上下が逆

以上が碓氷峠鉄道文化むらとその周辺スポットです。

前述のとおり、私は昼の12時に横川駅に着きました。全部見終わったのは15時前だったので、釜めしを食べた後から約2時間余りでした。半日あれば十分でしょう。江戸時代からつい最近までの横川・碓氷峠の歴史を知ることができるので、是非行ってみてはいかがでしょうか。

なお、今回は行きませんでしたが、廃線跡には他にも鉄道遺産があります。また機会があれば行きたいと思います。

※記事の内容は令和8年4月時点のものです。

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