現代では多くの豪華客船が航海していますが、日本で戦前に誕生した貨客船が現在も残されています。それは横浜港に係留されている氷川丸(ひかわまる)という船です。
氷川丸は、貨客船として日本と海外を行き来しただけでなく、戦時中・戦後直後は病院船や引揚船としての姿もありました。引退したのは昭和35(1960)年です。引退後から現在まで横浜港に係留され、国の重要文化財となっています。
今回は、一部公開されている氷川丸の内部を見学していきます。一部と言っても、公開スペースはかなり多く、見るにも1時間前後はかかります。
現在の豪華客船とは比べ物にならないと思いますが、一等客室は当時としてはかなり豪華だったのではないでしょうか。また、操舵室や機関室も見ることができます。
なかなか見ることができない大型貨客船の内部を見ていきましょう。
氷川丸の歴史
氷川丸の歴史については、氷川丸のホームページに「氷川丸の歴史」として分かりやすくまとめられているので、ここでは詳細は書きません。簡単に氷川丸の歴史を書くに留めますので、詳細を知りたい方はホームページをご覧ください。
氷川丸は昭和5(1930)年4月25日に横浜船渠(せんきょ)で竣工し、5月13日に初航海に出航しました。日本とアメリカ・シアトル間(シアトル航路)を中心に、貨客船として海外航路を行き来します。
しかし、戦争が激しくなり、シアトル航路は休止となります。氷川丸は昭和16(1941)年に逓信省に徴用され、引揚船として横浜・シアトル間を往復しました。
横浜に帰着後の同年11~12月には病院船に改装されました。病院船の主な役割は次の通りです。
- 戦地や艦隊からの患者の収容(日本へ帰国させる)。
- 戦いの前線への医薬品・治療器具等の輸送。
- 戦地や艦隊で発生する伝染病の防疫。
昭和16年時点で、日本は陸軍19隻・海軍5隻の病院船を保有していました(恐らくこの後もっと増えた)。
病院船は敵国に攻撃されることもあり、昭和16年以降に沈没した日本の病院船は44隻もあります。先ほどの昭和16年時点の24隻の病院船で沈没しなかったのは氷川丸を含めて3隻のみです。氷川丸はそのような中で生き残った貴重な船です。
終戦後は海外からの日本人の復員・引揚げのための引揚船として、南方の島々を中心に、日本との間を何度も行き来しました。
氷川丸が病院船・引揚船として行き来した航路は下の写真のとおりです。

これは氷川丸内部の展示パネルです。見にくいですが、紫色が病院船としての航路、緑色が引揚船としての航路です。
昭和22(1947)年初めに引揚船としての役目を終え、再び貨客船に改装されました。国内航路ではありましたが、再び貨客船としての活躍が始まります。
昭和26(1951)年からシアトル航路が復活します。氷川丸は同年に大改装を行い、戦前の貨客船の姿に戻ります。そして、昭和28(1953)年に氷川丸はシアトル定期航路に復帰します。
氷川丸が老朽化や船の利用減少によって引退したのは昭和35(1960)年でした。その後、横浜港の桟橋に横付けされ、観光船として使用されました。
平成18(2006)年に氷川丸は閉館して、大規模改装が実施され、平成20年にリニューアルオープンしました。
平成28年には戦前の日本で建造されて現存する唯一の貨客船として、国の重要文化財に指定されました。
以上が氷川丸の歴史です。病院船に関しては、氷川丸以外の文献も参考にして少し詳しく書きました。
氷川丸の船内~一等船客スペース~
現在、氷川丸は横浜港に係留されています。横浜駅から東急みなとみらい線に乗り、元町・中華街駅で下車します。駅から北東へ行くと、山下公園に着きます。公園の海際に氷川丸が係留されています。
ちなみに、氷川丸から15~20分ほど歩くと、横浜開港資料館や赤レンガ倉庫もあります。
さて、氷川丸の内部ですが、戦後、病院船から再び貨客船に改装されたので、現在残る姿は貨客船としてのものです。私が見た限り、病院船の痕跡は見つけられませんでした。
乗船する前に、氷川丸の外観です。離れた所と近くから撮りました。


氷川丸の見学可能時間は10時~17時(入館は16時30分まで)です。閉館30分前までに入館すればよいのですが、ゆっくり見学するには1時間程度は必要かと思いますので、16時までには入った方が良さそうです。
ここで、パンフレットに掲載されている船内図を載せておきます。この図は氷川丸のホームページでも見ることができます。

乗船するとBデッキに入り、入館受付があります。私は土曜日の昼過ぎに行きましたが、5~10分ほど並びました。船内にも、あちこちに見学客がいます。あんなに人がいるとは・・・。
受付の真横(向かって左側)にも説明板があるので、見落とし注意です。この説明板では氷川丸の見どころがまとめられています。
また、氷川丸について解説されたガイドブック(510円)も受付で販売しています。最初に受付で買わないと、出口まで買える所はありません。欲しい人は受付時に買っておきましょう(私は出口からはるばる受付まで戻って買った)。
受付を過ぎるとエントランスロビーがあります。氷川丸に関する簡単な説明板もあります。
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ロビーを過ぎると、一等児童室への通路があります。the船内、という感じの(いい意味で)狭い通路です。
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次は一等児童室です。ここは一等船客専用の遊戯室です。


ここでは大人の食事中等に託児も行っていたようです。上の写真では見にくいですが、天井近くの壁面には絵も描かれています。
ちなみに、客室の種別は一等特別・一等・三等の3種類のようです。
当初の定員は、一等79人、ツーリストクラス(二等相当)69人、三等138人でした。病院船・引揚船を経て貨客船に戻った後は、一等34人(後に80人)、三等(A)69人、三等(B)127人となりました。
次は、一等食堂です。


一等食堂は船の横幅いっぱいの幅があり、非常に広いスペースになっています。中央には、昭和12(1937)年10月の秩父宮両殿下の乗船に際して用意された、豪華な夕食が再現されています。


一等食堂の次はAデッキに上がりますが、趣のある階段があります。このデザインにとても感動している人もいました(私はそこまでではなかったが…)。
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Aデッキに上がり、次は一等読書室です。


ここは一等船客が読書や手紙を書いて過ごす所です。なんと優雅な…。柱形と中央の天井灯(多分四角いやつ)は竣工当時のまま残っているそうです。
次は一等社交室です。


ここは氷川丸のメインホールで、主に女性の社交場となっていました。また、公式レセプション会場としても使用されていました。夜はダンスパーティーも開催されたそうです。
壁や天井の装飾も優雅な感じで、大きな絵画もあります(当時の絵画かはわかりませんが)。
読書室や社交室があるあたり、やはり一等は格が違いますね。
続いて、一等社交室から展示室へ向かう途中の階段の柵には、現在さいたま市にある氷川神社の神紋「八雲」がデザインされています(下の写真の丸い部分)。氷川神社は氷川丸の名前の由来になった神社です。

そして、船内図にはありませんが、この階段の向かい側には船内郵便局があります。この郵便局は一等から三等まで、どの客でも利用できたようです。ここで出した郵便には「船内印」という船名が入った消印が捺されたそうです。
郵便局の(向かって)左側の壁にはポストもあります。

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続いては氷川丸が運行されたシアトル航路に関する展示室があります。
船の航行に関わる様々な機器や船旅に関する展示があります。


次は一等喫煙室です。

ここも装飾が「一等」という感じです(←どんな感じ?)。ここでは世界の上級品の酒・たばこが揃っていたそうです。一等社交室(主に女性の社交場)に対し、一等喫煙室は主に男性の社交場となっていました。
次は一等客室です。中には入れないので、扉のガラス越しの撮影です。


一等客室は1~3人部屋で、冷温水が出る洗面所が付いていました。換気・空調設備も客が自由に調節でき、当時としては最新式だったそうです。
また、客室のベッドにはスタッフが折った「飾り毛布」が置かれていました。折り方は何十種類もあり、乗客に喜ばれたそうです。現在も再現されています。


さすが一等、という部屋ですが、上には上があります。次は一等特別室です。


壁面の装飾が豪華になり、机の上もちょっと豪華?になっています。しかし、あまり一等客室と変わらない感じで、むしろ洗面所が無くなっています。これが一等特別室?
いやいや、「特別室」です。ただの一等とは格が違います。実は、一等特別室は1部屋だけではないのです。
右上の写真の隣(右側)には洗面所兼風呂場があります。はい、ちゃんと洗面所もありましたね(説明板に隠れて見にくいですが、写真の右下)。

更に、風呂場の隣にはもう1部屋(凄っ!)。リビングのような部屋になっています。まるで洋館の1部屋です。


一等特別室は秩父宮両殿下、チャップリン等の賓客や著名人が利用しました。
氷川丸の船内~操舵室・船長室・屋外デッキ~
ここからは屋外デッキに出て、階段で上のN1~3デッキへと上がって行きます。
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階段を上ると、ここからは屋外通路を通ります。外では大きい煙突を見ることができます。これぞ、大型船の煙突ですね(←単純な感想)。
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また、船内図にはありませんが、N1デッキには屋外部分に艙口蓋があります。

艙口蓋が何なのかの説明はありませんでしたが、漢字からして、恐らく船倉を覆う蓋(ふた)でしょうか。
この艙口蓋はカバーがかかっていますが、氷川丸では木製の蓋をし、その上に覆布(カバー)をかけていました。最近の艙口蓋は金属製の蓋だそうです。
N1デッキからN2デッキへ上がり、ここは一旦通過します。N3デッキまで上がると、操舵室があります。船を操縦する所ですね。
当然ですが、ここからは船の前方が良く見えます。
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操舵室内には様々な機器があります。





日本らしく、神棚があります。今まで見て来た部屋は全て洋風なので、この神棚の違和感…。ちなみに、現在は氷川神社のお札等が供えられていました。

ジブリの天空の城ラピュタで見た(あれは飛行船でしたが)伝声管もありました。
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下の写真は無線方向探知機です。
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無線方向探知機は、飛んでくる電波を受け、その電波の飛んでくる方向から、船の現在地を知ることができる装置です。
モールス信号発信機もあり、実際に押すことができます。音も出ます。
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また、下のデッキにあった無線室の機器が移設されています。ここは元々、海図室でした。


N3デッキから、先ほど通り過ぎた下のN2デッキに下りると、船長室があります。ここも中には入れません。伝声管があるとのことでしたが、右下の写真の赤丸部分でしょうか。


N2デッキからAデッキまで階段で下ります。Aデッキにある屋外デッキを通りますが、ここからは横浜港の大桟橋や赤レンガ倉庫、ランドマークタワー等を見ることができます。
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ランドマークタワーの下にある、みなとみらい21の辺りは、昭和5(1930)年に氷川丸が建造された横浜船渠(せんきょ)の跡地です。
再び船内に戻り、Cデッキまで下ります。余談ですが、途中にはレトロな客室案内板や階段があります。

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氷川丸の船内~機関室~
続いては、これまでの客室等とは打って変わり、船の心臓部にあたる機関室です。ここは今までの部屋と違い、かなり広く、階層も複数あります。
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機関室の中心となるのは2基のディーゼルエンジンです。それぞれに8つの気筒があります。


ディーゼルエンジンは下の写真のような仕組みらしい。わかったような、わからんような…。

ここにも伝声管があります。

なんと、電話室もあります。つまり電話ボックスです。機関室はエンジン音がやかましいため、操舵室との連絡は、この電話で行っていました。

ここでわからなかったのは、では伝声管はいつ使うのか?操舵室以外との連絡は伝声管でしょうか?でも、やかましいなら伝声管ではダメでは?よくわからん。
そして、この伝声管や電話室があるのは機関室の最下層ですが、ここは海水面よりも低い位置にあります。水面の位置がわかるように、赤い線(ウォーターライン)で示されています。

最下層には他にも発電機やコンプレッサがあります。コンプレッサとは、エンジン起動等で使用する高圧空気を作り出す機械です。


氷川丸の船内~ギャレー・三等客室・氷川丸の歴史展示~
機関室を出ると、ギャレーの説明板があります。ギャレーとは聞きなれない言葉ですが、いわゆる調理場(厨房)です。ここは部屋を見ることはできません(説明板だけ。写真もありません。)。
ギャレーでは60人の乗組員が和食・洋食・ベーカー等に分かれて調理していました。氷川丸の食事はおいしいと評判だったらしいです。
1回の食事は、船客の等級別(3等は人数が多いので、2回に分ける)と乗組員用の計5回に分けて造られました。なので、1日3食で15回作ることになります(それってほぼ一日中では?)。
ちなみに、船内でも育ちやすいということで、もやしを栽培していたらしいです。
ギャレーから奥へ進むと、三等客室があります。


2段ベッドが4つ(合計でベッド8つ)あり、窓際に小さな机があります。現代の船でも同じようなタイプの部屋がありますね。ベッドには、ちゃんとカーテンや簡単な荷物置き(網棚)もあります。
続いての部屋では氷川丸の歴史が展示されています。
氷川丸が航海した全航路の地図、氷川丸に関わった人が語った話、各時代別の氷川丸の歴史が展示されています。




冒頭で書いたように、氷川丸には病院船としての歴史がありました。私は何年か前に氷川丸を知りましたが、それは病院船としての氷川丸でした。なので、どちらかというと病院船のイメージを持っていました。しかし、一般的にはそのイメージは無いのでしょう。この展示を見た人の、「ん?病院船!?」という声が何度か聞こえて来ました。
病院船時代の船内図を見ると、当然ながら病室が多数設置されています(下の写真のピンク色の部分の多くが病室)。写真は少し見にくいです、すみません。

病室も、一部の兵は通常とは異なる部屋(サイズ的に個室か少人数の部屋)になっていたようです。
また、手術室、X線室、細菌検査室、霊安室等もあります。
一等特別室は院長室、一等読書室はそのまま、一等社交室は一等ラウンジとなっています。
展示室を抜けると、最後に氷川丸内部の大きなイラストや模型があります。


以上が現在の氷川丸の内部です。ガラス越しの所も多く、写真ではなかなかわかりにくい部分もあったと思います。
氷川丸は横浜駅からも行きやすいので、ぜひ現地へ行って、実際に見てみてはいかがでしょうか。
※特に断りの無い限り、記事の内容は令和8年1月時点のものです。
《参考文献》
- 『氷川丸ガイドブック』(日本郵船歴史博物館、2019年)
- 『病院船~戦傷病者を還送した船~』(しょうけい館企画展パンフレット、2019年)