近鉄観光特急・しまかぜの車窓から見える歴史2

前回は近鉄の観光特急しまかぜについて紹介しました。いや、しまかぜが良すぎて、しまかぜの話しかしませんでした(近鉄の歴史に一瞬触れたが…)。今回と次回は、しまかぜ(賢島→京都)の車窓から見える史跡等を紹介します。今回は志摩線~大阪線の沿線です。

※写真は、一部しまかぜ以外の列車から撮影したものを含みます。

鳥羽城跡(中之郷駅→鳥羽駅)

以下では、今回乗車した賢島駅から京都駅へ向かう順で、進行方向の左右も京都方面を見た場合で記載します。京都駅から賢島駅へ向かう場合は、左右と駅順が逆になります。

最初は鳥羽城です。志摩線中之郷駅と鳥羽駅の間、左側に見えます。近鉄の線路を挟んだ反対側には鳥羽水族館があります。

小高い丘で、城とはわかりにくいですが、石垣を模擬復元した箇所があります。手前には江戸時代に最初の藩主であった九鬼家(正確には、「鬼」は上の点が無い字)の大きな家紋も見えます。

鳥羽城

※写真は逆光で見にくいです(赤い筋も逆光のため)。すみません。

三重県鳥羽市(旧志摩国)にある鳥羽城は、戦国武将の九鬼嘉隆が築いた城です。それ以前にも砦が存在したとされています。

九鬼氏の出自は詳細不明ですが、嘉隆よりも5世代前に三重県南部の九鬼浦から志摩国波切に移住しました。嘉隆は織田信長や豊臣秀吉のもとで水軍を率いて活躍しました。鳥羽城を築いたのは秀吉に仕えていた時期です。

関ヶ原の戦いでは、隠居していた嘉隆は西軍に、子で当主の守隆は東軍に味方しました。守隆は徳川家康の上杉攻めに従って関東に行って不在で、嘉隆は守隆の鳥羽城を奪って籠城します。守隆は関東から戻り、親子で戦うこととなります。

関ヶ原で西軍が敗れた後、嘉隆は鳥羽城から逃れますが、やがて鳥羽城の沖にある答志島で自害しました。

九鬼嘉隆が鳥羽城を築いた年は正確には不明ですが、文禄3(1594)年には完成したとされます。鳥羽城は全国的に珍しく、正面入口にあたる大手門が海に向かって設けられており、水軍大名らしい城です。

現在、建物は残っていませんが、本丸があった所は丘の上で、広場になっています。

写真の所は石垣を模擬復元した所ですが、往時の雰囲気を感じ取れます。

斎宮跡(明星駅→斎宮駅)

次に見えるのは斎宮跡です。宇治山田駅や伊勢市駅を過ぎ、明星駅の次のその名も斎宮駅の直前で、右側に見えます。

斎宮跡

斎宮は、天皇の代わりに伊勢神宮に奉仕するための「斎王」が居住し、関連する役所も置かれた所です。斎王は天皇の娘等の女性皇族から選ばれました。

神話時代にも斎王とされる人物は登場しますが、斎宮に斎王が居住した可能性が高いのは6世紀前半からです。斎王が制度として確立するのは天武天皇の時代、天皇の娘である大来皇女(674年に伊勢に向かう)からとされています。

斎王制度が無くなるのは後醍醐天皇の時代で、娘の祥子内親王が元弘3(1333)年に斎王となったのが最後です。

平安時代末期以降は、斎宮に赴く前に短期間で解任される斎王も多く、制度が無くなる前から斎宮は荒廃が進んでいたとされます。そして、斎王制度が無くなった後は歴史に埋もれていきました。

斎宮跡は伝承地として残るのみでしたが、昭和45(1970)年に始まった発掘調査で斎宮と関連があるとされる遺物が発見されました。その後も斎宮跡では多くの発掘調査が行われ、保存運動も展開されました。

そして、昭和53(1978)年には国史跡に指定されました。

現在は写真のように近鉄線沿いに一部の建物が復元されるなど、史跡としての整備が進んでいます。また、斎宮歴史博物館では斎宮の歴史を学ぶことができます。

耳成山(耳成駅→大和八木駅)

次はしばらく時間が空いて、耳成山です。大阪線の耳成駅と大和八木駅の間で、右側に見えます。

耳成山

※カフェ車両1階から撮影したので、かなり下からのアングルです。線路も写っています。

耳成山は綺麗な形をしており、畝傍山・香具山(天香具山)とともに、藤原京を囲む大和三山の一つです。大和三山は神社や祭祀の場があったり、古歌に詠まれたりしました。近鉄大阪線からは耳成山を間近に見ることができます。

また、畝傍山はしまかぜの経路ではありませんが、橿原線の八木西口・畝傍御陵前・橿原神宮前の各駅間(主に畝傍御陵前駅の前後、橿原神宮前駅に向かって右側)で見ることができます。

香具山は大阪線大福駅と耳成駅の間で、(大阪・京都方面に向かって)左側に位置しますが、間に住宅地があり、かなり見えづらいです。

今回はここまでです。次回(最終回)は近鉄橿原線・京都線沿線を紹介します。

《参考文献》

  • 『日本史広辞典』(山川出版社、1997年)
  • 『三重県史』通史編原始・古代(三重県、2016年)
  • 豊田祥三『九鬼嘉隆と九鬼水軍』(戎光祥出版、2023年)

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