ミミズのような文字「くずし字」が書かれた「古文書」。あの字はどうやったら読めるのか?結局は練習や慣れですが、コツを掴むとより読みやすくなります。
そこで、私の独断ですが、読む時のコツや使っているツールを紹介します。
今回はその前に、古文書の構成要素についてお話し、次回でコツ、次々回でツールを紹介します。
今後も必要に応じて情報を追加していきます。
古文書は情報の宝庫
「古文書」というと、どんなモノをイメージしますか?よくイメージされるのは、1枚の紙にぐちゃぐちゃした文字が書かれているものでしょうか。
これは「一紙物」とも言われるもので、その名の通り1枚の紙からなるものです。よくあるのは、書状(手紙)や証明書、知行宛行状(ちぎょうあてがいじょう。上位の人物が下位の人物に領地を与える時・認める時等に出されるもの。)等です。
その他にも、例えば冊子(本のような形)になったものもあります。家の歴史を記した由緒書や、「源氏物語」・「平家物語」といったいわゆる「本」にあたるものです。
さて、日本史の教科書には非常に多くの事が書かれています。これらの事がどうしてわかったのか?もちろん、当時生きていた人は今はいません(明治末頃以降であればいるが)。
歴史的事実を見聞きした人に代わって歴史を語ってくれるのが古文書なのです。そういう意味で、古文書はまさに現代に残された「生き証人」とも言えます。
古文書を解読し、そこに書かれている事を読み解き、他の古文書とも合わせて考え、歴史的な事実が判明していきます(他にも出土遺物から分析する考古学もあります)。
今でも、新たな古文書の発見で「こういう事がわかった」というニュースを見ることがあります。それがすぐに教科書に載ることは稀ですが、研究が進み、やがて教科書に載ることもありえます。
古文書は無数と言ってもよいほどの数があります。まだまだ内容が読み解かれていない古文書の方が多いかもしれません。古文書は、まだ開けられていない歴史的事実の宝庫なのです。
古文書はどこに何が書かれている?
古文書を読む時には、やみくもに読んでもダメではありませんが、どこにどんな項目が書かれているのかを知っているだけでも違います。
ここでは次の古文書を例に説明します。なお、昔の古文書は縦書きですが、ブログでは縦書きにできないため、横書きになっています。
尚々於 殿中、可得御意候
如仰、昨日者、 御成之儀付而、万被入御念、過分奉存候、殊早速預御状、忝存候、後刻、於 御屋敷、可得御意候、恐惶謹言
六月廿八 元佶(花押)
(ウワ書)「 円光寺
藤堂佐渡守殿 元佶
御報 」
(『藤堂高虎関係資料集 補遺』今治市河野美術館所蔵文書№3)
意味は
仰るように、昨日は御成のことで万端念入りにされ、十分過ぎることと存じます。特に、早速御手紙を頂戴し、かたじけなく存じます。後程御屋敷でお伺いいたします。恐惶謹言。
なお、殿中でお伺いいたします。
となります。
①表題(タイトル)
まずは表題、いわゆるタイトルにあたるものです。古文書の最初の部分に書かれ、一番上からではなく、数文字下に下がった位置から書かれます。
上記の例のような通常の手紙では表題は殆どありません。一方、例えば農民が領主に差し出す願書には、最初に「乍恐奉願上候(恐れながら願い上げ奉り候)」といった表題が書かれ、この古文書がお願い事を書いたものであることが分かります。これがわかるだけでも、解読する大きなヒントになります。
②本文
最も多くの部分を占めるのが、当然ながら本文です。しかし、その本文もいくつかのパートに分けられる場合があります。
上記の例では本文は「如仰~恐惶謹言」の部分です。後で説明する⑥の追伸も、実際は本文の一部と考えて差し支えないでしょう。
通常の書状であれば、出だしは「一筆令啓候(一筆啓せしめ候=書状を書きました)」や「態申遣候(わざと申遣わし候=しかと書状を送ります)」といった言葉が来ることが多いです。
続いて時候の挨拶や贈物へのお礼等が述べられることがあります。ここまでは本題ではありません。
挨拶や御礼を書いた後に本題に入ります。本題に入るところには「然者(しからば)」・「仍(よって)」という言葉が使われることが多いです。
末尾には「期面之時候(面の時を期し候=会える時をお待ちします)・「期後音候(後音を期し候=後の手紙をお待ちします)」といった、次の機会を待つような言葉が来ることがあります。
上記の書状の例では「後刻、於 御屋敷、可得御意候(後ほど、御屋敷でお考えをお聞きします)」の部分がこれにあたります。
また、「誰々可申候(誰々申すべく候=誰々が申すでしょう)」という言葉が来ることがあります。これは、主人の書状に家臣が添えて出す書状(添え状)がある場合に、「その家臣が書状で詳細を述べるであろう」という意味です。また、主人の書状を持って使者が宛先に赴く場合は、その使者が詳細を口頭で伝えるという意味になります。
厄介なのは、特に戦いに関する書状の場合、機密保持のため(書状が敵方に奪われた場合に備えるため)に書状に詳細は書かないことです。詳細は書状を持って行った使者が口頭で伝えるのみにしているのです。これでは、現在書状を読んでいる私達は(使者の口頭伝達は聞けないので)十分な情報を得ることができません。
本文の締めには「謹言」・「恐々謹言」・「恐惶謹言」や「下知如件」・「仍如件」といった締め言葉が来ます。
「謹言」・「恐々謹言」・「恐惶謹言」は通常の手紙によくあるもので、「謹言」は目下の相手に、「恐々謹言」は自分と同程度の立場の相手に、「恐惶謹言」は目上の相手によく使います。ただ、家来相手に「恐々謹言」ということもあるので、実際は差出人と宛先の関係性にもよるかもしれません。
「下知如件」・「仍如件」は命令を伝える古文書によく見られます。「下知」とは命令のこと、「如件(くだんのごとし)」は「以上の通りである」といった意味です。
③日付
日付は上記の例であれば「六月廿八」です。この書状では「日」の文字が抜けています。通常の書状では年数は書かれないのが一般的です。
逆に、領地を与える知行宛行状や、借金証文といった、後に何らかの証拠になる古文書には年数が書かれることが多いです。最も情報が多い場合は年号・年数・干支・月日が書かれています。年数がわかると、その頃何があったかがわかるので、解読には大きなヒントになります。
ぱっと見でくずし字が読めなくても、年月日だとわかっていれば、「何年何月何日」であると想像がつきます。干支が入る場合もあります。干支は毎年変わり、60年で1サイクルなので、干支と年の数字が読めれば、年号が読めなくても割り出せる可能性が高いです。
また、頻度は少ないですが、月数に「閏」や「壬」の文字が付いていれば、閏月を表します。
明治時代初めまでは現在の太陽暦とは異なり、太陰暦を使用していました。太陰暦は月の満ち欠けで暦を決めるもので、実際の1年とはズレが起きます。現在の太陽暦でも4年に1回は閏年があり、2月29日が存在するのと同じ理屈です。
現在の閏年は2月29日の1日が増えるだけですが、太陰暦の閏月は、丸々1ヶ月増やすものです。例えば、閏3月であれば、3月と4月の間に閏3月という1ヶ月が入ります。
閏月がある年は3~4年に1回程度と頻繁ですが、何月と何月の間に閏月を挟むのかは年によって異なります。例えば閏2月は江戸時代の中で9回だけです(←それでも多い?)。
なので、「閏●月」と書状にあれば、何年のものかはある程度絞り込めます。内容を見れば、明らかに除外できる年もあるでしょうから、年数が特定できるかもしれません。
④差出人
差出人は概ね日付の真下辺りに書かれますが、人数が多い場合は左右(主に左)に広がります。
武士であれば名字+通称・官途名(越前守、左衛門佐など)+実名というパターンや実名だけのパターン等があります。
上記の例であれば「元佶(花押)」にあたります。元佶は閑室元佶という僧侶です。
ぱっと見でくずし字が読めなくても、例えば名字が読めれば、そこから実名がわかるかもしれません。「羽柴」と来れば「秀吉か?」と想像できるでしょう(実際に羽柴は秀吉だけではないが)。
農民であれば、村名や役職(庄屋・肝煎等)が名前の右上に書かれることがあります。名字は通常は書かれていません。「●●兵衛」・「●●右衛門」・「●●郎」等はよくある名前です。
差出人名の下には花押(かおう)が書かれたり、印鑑が捺されたりします。花押はその人固有のサインです。有名人なら名前が読めなくても花押から誰なのか特定できますが、古文書初心者にはそれは難しいでしょう。
一般的には花押の方が印鑑よりも相手に対して礼儀があることになります。目の病気で花押が書けない場合は、わざわざ本文中に「目の病気なので(花押が書けないので)、不本意ながら印鑑を捺します」と断ることもあるほどです。
ちなみに、花押は正しくは「書く」ではなく「据える」と言います。
⑤宛先
宛先は「宛所(あてどころ)」と呼びます。宛先は通常は書状の最後(日付・差出人の左)に書かれます。
書かれる位置は、差出人との関係性によります。通常の書状であれば、相手を敬って上の方に書きます。しかし、差出人が豊臣秀吉や将軍等の場合は、相手の方が目下になることが多いので、宛先も下の方に書きます。宛先がどの高さに書かれているかで、差出人との力関係を見ることができます。
宛先は人とは限りません。武士が差出人であれば、相手が個人(武士)という事は多いでしょう。一方、農民であれば領主への願書がよくあるので、宛先は「御奉行所」といったように役所であることも多いです。個人名や役所名以外に、役職名が宛先となることもあります。
上記の例では日付・差出人名で終わっており、宛先は書かれていません。しかし、書状を折りたたんだ時に一番外側に来る位置に再度差出人名を書く(ウワ書という)と共に、宛先である「藤堂佐渡守殿(=藤堂高虎)」を書いています。
このように、書状を折りたたんだ時に一番外側に来る位置や、書状の包み紙に差出人名や宛先を書くこともあります。
⑥追伸(尚々書き)
追伸は一番右(初め)の位置に書かれます。意味が分かりませんね?
追伸は最後に書きますが、①~⑤を右から左へ順に書いて行って、その次に追伸を書くときは、1周回って、紙の最初の部分に来てしまうのです。これは⑤の後に余白があろうとも、あえて最初に戻って書きます。恐らくそこが追伸の位置という暗黙の了解があったのでしょう。
追伸が長文になる等、右端の余白では足りない場合は、本文の行間に割り込んで書いていくこともあります。
追伸は本文よりも数文字低い位置から書かれることや、文字が本文よりも少し小さいこと、出だしに「猶々」・「尚々」・「追而申候」といった言葉が来るのが目印です。上記の例でも「尚々」とあります。なので、追伸のことを「尚々書き(なおなおがき)」等と呼びます。
追伸が本文の行間に割り込む場合は、逆に本文の文字よりも高い位置から書かれることが多く、文字は本文よりも少し小さめです。このため、本文と区別するのは案外容易です。
内容は本文の繰り返しの場合も多いですが、尚々書にしか書かれていない事もあるので、意外に重要です。
以上が古文書(主に書状)の構成要素です。どこに何が書かれているのかを知っておくことは、くずし字を解読するだけでなく、古文書の意味を考える上でも大切な事です。
《参考文献》
- 『藤堂高虎関係資料集 補遺』(三重県、2011年)
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