大化の改新とは、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した事件。というのは正確ではありません。この事件には別の名があります。大化の改新とはこの事件を指すのではなく、この事件の後の一連の政治改革を指す言葉です。今回はこの事件の経過と大化の改新の概要について見ていきます。
入鹿・蝦夷襲撃事件と大化の改新
645年、中大兄皇子・中臣鎌足らは、朝廷での儀式の最中に当時の権力者蘇我入鹿を襲撃し、討ち果たします。続いて、皇子達は兵を率いて入鹿の父・蝦夷の館に向かい、蝦夷は自害します。
これらの事件を大化の改新だと思っている方は多いのではないでしょうか。
実は、この事件は乙巳の変(いっしのへん)と呼ばれます。645年が干支(十干十二支)で乙巳の年にあたるためです。大化の改新とは、その後に皇子らによって行われた一連の政治改革を指す言葉なのです。
十干十二支について詳しくは以下の記事をご覧ください。
ちなみに、今年(令和7年)の干支は乙巳で、この事件の干支と同じです。
乙巳の変
まず、乙巳の変において、蘇我蝦夷・入鹿親子はどのようにして滅ぼされたのでしょうか。事件の経過を見ていきます。
襲撃現場となったのは、朝鮮半島の国の使者が天皇に物を献上する儀式でした。儀式が始まると、入鹿の一族でもある蘇我倉山田石川麻呂(そがの くらやまだの いしかわまろ)が皇極天皇の前で使者の持参した国書を読み始めます。この最中に襲撃が決行される予定でした。
しかし、いざとなると恐れて誰も踏み込めません。襲撃計画に加わっていた石川麻呂は焦りからか挙動が乱れます。入鹿は不審がりますが、石川麻呂は、「天皇の前で緊張している」と言ってその場をしのぎます。まっとうな言い訳ではありますが、そんなにあっさりと言い逃れできるのか?もっと疑えよ、入鹿、とも思いますね…。
そして、誰も斬りかからないことにしびれを切らしたのか、中大兄皇子が入鹿に斬りかかりました。他の者も飛び出してきます。
何も知らない皇極天皇(中大兄皇子の母)は皇子に何事か尋ねました。皇子が「入鹿は大王家を滅ぼそうとしている」と言うと、天皇は奥に入って行きました(襲撃を黙認)。そして入鹿はとどめを刺されます。
苦手な人もいると思うのでここでは書きませんが、この時の様子を描いた絵(談山神社所蔵『多武峰縁起絵巻』)はなかなか衝撃的な描写です。見たい人はインターネット等で画像検索してみてください。「多武峰縁起絵巻 乙巳の変」等で検索できます。
続いて皇子らは兵を率いて入鹿の父・蝦夷の館に向かいます。蝦夷はそれを見て諦めたのか、自害して果てます。
こうして、蘇我蝦夷・入鹿父子は滅ぼされたのでした。
天皇の前で(しかも天皇には事前に知らせずに)時の権力者を討つというのは、後の時代ではなかなか考えられないことですね。例えば、将軍の前で老中が討たれるようなものでしょうか。
しかし、いつの時代もクーデターや政敵を退ける事件は様々な形で起きています。蘇我入鹿襲撃事件は、その場所が天皇の前で経過が劇的であるがために、特に人々の印象に残るのではないでしょうか。
大化の改新
蘇我蝦夷・入鹿の滅亡により、新たな時代が始まりました。
皇極天皇が史上初めて譲位して弟の孝徳天皇が即位しました。また、史上初の年号とされる大化が定められ(大化年号の存在を疑う説もある)、都は難波長柄豊碕宮に遷されました(ただし、一旦難波の別の宮に遷り、後年に難波長柄豊碕宮へ遷ったとする説もあります)。
翌大化2(646)年1月、全部で4項目の改新の詔(みことのり)が出されます。少し難しいですが、主な内容を見てみましょう。
- 子代(こしろ)・部曲(かきべ)の民(王族や豪族を支える人々・隷属民)や屯倉(みやけ)・田荘(たどころ)(王族や豪族の土地支配組織)を廃止。代わりに食封(じきふ)(給与のようなもの)を支給。
- 地域の行政組織や駅制を設定。
- 戸籍・計帳の作成と班田収授法の実施。
- 新しい税制。
教科書では私地私民制から公地公民制への転換と説明されますが、公民制への転換ではあっても、公地制への転換と評価するのは難しいという研究もあります。
また、改新の詔は、後の大宝令に似た条文が多いことから、その存在をめぐって研究上の論争もあります。改新の詔は『日本書紀』に掲載されています。『日本書紀』の編者が、大宝令にならって、改新の詔を実際とは違う内容に書き換えたのでは?ということです。
これに対し、大宝令とは異なる、改新の詔独自の内容もあるようです。このことから現在では、改新の詔の少なくとも一部は存在した可能性が高いという評価があるようです。
このように新しい政治を目指した朝廷でしたが、やがて中心人物の中大兄皇子と孝徳天皇が対立します。白雉4(653)年に中大兄皇子は天皇を難波長柄豊碕宮に残し、飛鳥へ戻ってしまいます。孝徳天皇は翌年に難波長柄豊碕宮で崩御します。
孝徳天皇の後、退位していた皇極天皇が再度皇位につき(斉明天皇)、次の時代へと移っていくのです。
《参考文献》
- 『日本史広辞典』(山川出版社、1997年)
- 熊谷公男『日本の歴史第03巻 大王から天皇へ』(講談社、2001年)
- 市大樹「大化改新と改革の実像」(『岩波講座日本歴史』第2巻古代2、岩波書店、2014年)
- 吉村武彦編『新版 古代史の基礎知識』(KADOKAWA、2020年)
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