「後●●天皇」はいるのに、「●●天皇」は教科書や資料集、事典で出てこない。実は、「●●天皇」は知られていないだけで、いるのです。どういうことなのか、解説します。
天皇と言えば誰?
歴史上、神話時代も含めれば現在まで126代(南北朝時代の北朝を含めると131代)の天皇がいます。その中で有名な天皇と言えば、誰が思い浮かびますか?
- 初代とされる神武天皇?
- 聖徳太子を摂政とした最初の女帝・推古天皇?
- 大仏を造った聖武天皇?
- 平安京に都を移した桓武天皇?
- 承久の乱の後鳥羽天皇?
- 鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇?
- 日本の近代化の時代の明治天皇?
- 激動の時代の昭和天皇?
さて、この中でも2人の「後●●天皇」がいます。「後」が付くということは、「後」が付かない天皇が先にいたことになります、普通に考えれば。
「後」の付く天皇は何人?2つのタイプの違いは何?
ところで「後●●天皇」が何人いたかというと、
後一条・後朱雀・後冷泉・後三条・後白河・後鳥羽・後堀河・後嵯峨・後宇多・後伏見・後二条・後醍醐・後村上・後亀山・後光厳・後円融・後花園・後土御門・後陽成・後光明・後桜町・後桃園の22人と
後深草・後小松・後柏原・後奈良・後水尾・後西の6人
の合計28人です。22人と6人の違いは何でしょうか?少し考えてみてください。
天皇の名前は後から付けられる
最初の「後●●天皇」は平安時代の後一条天皇で、母は藤原道長の娘彰子です。道長や彰子は今年(2024年)の大河ドラマにも登場していますね。
また、「●●天皇」という名前は天皇の死後に付けられる名前です。昭和天皇も生前は「昭和天皇」とは呼ばれていません。
しかし、例外が後醍醐天皇で、平安時代の醍醐天皇を理想とし、自ら「後醍醐天皇」と名乗りました。これぐらいの強い意志が無いと、鎌倉幕府打倒や天皇親政(直接政治を行うこと)はできなかったのかもしれませんね。
2つのタイプの違い
さて、話を元に戻します。22人と6人の違いは何なのか?
例えば、22人の中の後一条天皇や後桜町天皇の場合、少し前に一条天皇や桜町天皇がいました。後醍醐天皇は先程のとおりです。
それに対して、例えば6人の中の後奈良天皇ですが、「奈良天皇」って聞いたことありますか?後水尾天皇に対する「水尾天皇」は?インターネット等で調べてみてください。恐らくそのような名前はすぐには出てこないでしょう。これが22人と6人の違いです。
では、なぜ「●●天皇」がいないのに、「後●●天皇」という名前になったのでしょうか。実は、「●●天皇」がいた、というのが答えです。
先程、調べても「すぐには出てこない」と言いましたが、「いない」とは言ってません(←ごめんなさい)。
天皇には別の呼び方がある場合も
例えば「奈良天皇」は平安時代の平城天皇の別称です。一般的には知られていません。
平城天皇は次の嵯峨天皇に譲位した後、寵愛する藤原薬子やその兄仲成の協力を得て、かつての奈良平城京に移って再度天皇になろうとして失敗します(藤原薬子の変)。これが奈良天皇とも呼ばれた理由でしょう。そういえば奈良県のJRの駅名「平城山」は「ならやま」と読みますね。
その他、理由は省略しますが、深草(仁明天皇の別称)・小松(光孝天皇の別称)・柏原(桓武天皇の別称)・水尾(清和天皇の別称)・西(淳和天皇の別称・西院帝)となっています。
天皇の名前ですから、意味も理由も無く付けることはさすがに無いようですね。「後●●天皇」にもきちんとした根拠があったのです。
《参考文献》
- 『日本史広辞典』(山川出版社、1997年)
- 米田雄介編『歴代天皇年号事典』(吉川弘文館、2003年)
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