歴史上の人物で誰が好きですか?その人物のマイナス面をどれだけ知っていますか?

本当にその人物が好きですか?―マイナス面は?―

歴史が好きな人は、歴史上の人物で「この人が好き!」という人がいることが多いと思います。歴史の楽しみ方は人それぞれだと思うので、どんなところが好きか?なぜ好きか?は人それぞれで良いのですが、私は、「本当にその人が好きですか?」とよく思います。

例えば、「織田信長が好きです」という場合、「なぜ好きか?」という点はいっぱいあるでしょう。「戦いに強いから」、「リーダーシップがあるから」、或いは「最期(本能寺の変)が劇的だから」等々…。

でも、もう一歩踏み込んで、「信長のマイナス面をどれだけ言えますか?」と聞かれたらどうでしょう?どれだけ知っているでしょう?マイナス面があっても好きですか?例えば信長は有名な延暦寺の焼き討ちをしています。浅井長政の寝返りによって散々な状態で逃げ帰っています。

マイナス面も知ろう!

私は、それらマイナス面(その事がマイナスかどうかの判断もまた意見が分かれることもありますが)も知った上で好きというのであれば、よりその人の事をよく知っているのだと思います。私自身もそうありたいと思っています。

例えば、私の好きな人物の一人が藤堂高虎です(但し、私は研究もしており、研究においては好き嫌いの感情は抜きにしています)。簡単に言えば、村の領主のような家(諸説あると思いますが)から秀吉や家康の信頼を勝ち得て、城づくりも得意で、大大名になったから、というのが理由です。

藤堂高虎のマイナス面―相続争い?を防げなかった?―

しかし、高虎にもマイナス面はあります。例えば、高虎は死ぬまで隠居せず、死後に実子の高次が跡を継ぎました。

しかし、高虎は長らく実子にめぐまれず、高次が生まれる前に養子となった高吉がいました。高虎の死後、高次は高吉が葬儀に参列するのを拒否したとも言われます。当時は津藩の飛び地(伊予国今治)の領主的な存在であった高吉ですが、高次は高吉を自分の家臣の立場にしてしまいます。

高吉は、高虎が伊予国から伊勢国・伊賀国へ転封となった後、伊予国に残った飛び地2万石を統治します。この時から、高虎の指示で徳川家康や秀忠への謁見が禁止されていました。高虎死後、高吉はこのことに納得していなかったという認識を示しています。

高虎の死から約100年後に事件が…

高吉はやや独立した領知支配を行いますが、高次の家臣の立場のまま92歳で死去します。

しかし、後の享保時代(徳川吉宗の頃です)に高吉の子孫が幕府に独立を願い出ようとして処罰される大事件が起きます。高吉の子孫である当主は強制隠居(取りつぶしは回避)、家老は切腹という大惨事になります。

歴史に「もし」はタブーかもしれませんが、もし高虎が生前に後継者をしっかり決めていたら?高吉を高虎から独立させて大名にしていたら?と考えると、「なんでちゃんとしなかったんだ?」・「高吉がかわいそうだし、子孫の時に事件が起きたんじゃないか?」と言いたくなります。

高虎も人間です―親近感―

他にも、例えば晩年の高虎は認知症だった(と私は思っています。ここでは詳しくは述べません。)と思わせる話もあります。

でも、私はこういうマイナス面を聞くと、「高虎も一人の人間なんだなぁ」と思い、より親近感がわきます。それも含めて高虎という人物が好きです。誰でも何かしらの苦労や失敗はあると思います。みなさんも、自分が好きな人物のマイナス面をあえて調べてみると、よりその人物が好きになるかもしれませんよ?(嫌いになってしまっても責任はとれませんので、悪しからず…)

※私はマイナス面も見た方が面白いと思っていますが、最初に書いたように、見方や楽しみ方は人それぞれです。それを否定するつもりはありませんので、誤解無きように受け止めていただければと思います。

《参考文献》

・藤田達生『日本中・近世移行期の地域構造』(校倉書房、2000年)

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