日本史あれこれ 継体天皇の皇位継承と上村松園「花がたみ」に秘められた恋物語 日本の古代、聖徳太子よりも前の時代に、皇位継承が危機に瀕したことがありました。結果として即位したのは継体天皇です。しかし、その皇位継承には疑問も出されています。そこにはどんな説があるのか?全てではありませんが、その一部を紹介します。また、こ... 2025.03.16 日本史あれこれ
日本史あれこれ 五節供(五節句)とはいつなのか?~人日・上巳・端午・七夕・重陽~ 「五節供(五節句)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?上巳(ひな祭り)・端午・七夕が特に有名です。あと2つは人日と重陽です。これはどのような節供(節句)なのでしょうか?今回はそれぞれの節供(節句)について紹介します。「節句」と「節供」... 2025.03.07 日本史あれこれ
日本史あれこれ 建国記念の日はなぜ2月11日なのか?由来は?神話に基づいた祝日と神武天皇の即位年 2月11日は建国記念の日です。でも、「建国」とは何を指すのでしょうか?今回は建国記念の日はなぜ2月11日なのか、由来となった神武天皇、それに加えて神話時代の天皇の在位期間がなぜ異常に長いのか?についてお話しします。建国記念の日の「建国」とは... 2025.02.07 日本史あれこれ
日本史あれこれ 東福門院徳川和子の入内3~夫・後水尾天皇の譲位と国母としての役割~ 前回は和子に待望の皇子・高仁親王が誕生しますが、幼くして亡くなるところまでを見ました。一方で、後水尾天皇はこの皇子に将来譲位するつもりでいました。皇子が亡くなり、朝廷・幕府の関係も再び悪化する中、後水尾天皇は和子の娘への譲位を強行します。譲... 2025.01.31 日本史あれこれ
日本史あれこれ 東福門院徳川和子の入内2~入内と皇子の誕生~ 前回は当時の朝廷・幕府の関係と、和子の入内に向けた動きについて見ました。たびたび延期された入内ですが、ついに暗礁に乗り上げてしまいました。ここで登場するのが大名・藤堂高虎です。彼によって入内の話はまとまります。今回は再開された入内交渉から、... 2025.01.24 日本史あれこれ
日本史あれこれ 東福門院徳川和子の入内1~紆余曲折の入内交渉~ 江戸時代の初め、徳川将軍家から朝廷へ輿入れ(入内=じゅだい)した女性がいました。女性の名は和子。徳川家康の孫で、秀忠と江与の娘です。朝廷・幕府の融和政策としての入内構想から実際の入内までは長い年月を要し、紆余曲折がありました。和子は後水尾天... 2025.01.17 日本史あれこれ
日本史あれこれ 大化の改新=蘇我入鹿を討った事件ではない?~乙巳の変と改新の政治~ 大化の改新とは、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した事件。というのは正確ではありません。この事件には別の名があります。大化の改新とはこの事件を指すのではなく、この事件の後の一連の政治改革を指す言葉です。今回はこの事件の経過と大化の改新の... 2025.01.10 日本史あれこれ
日本史あれこれ 「子・丑・寅=干支(えと)」というのは正しくない?~ちょっと複雑な仕組みと還暦・甲子園・あの戦い・あの革命~ あけましておめでとうございます。今年(令和7年)は巳年ですね。正確には乙巳の年です。みなさんも聞いたことがある干支(えと)。子・丑・寅のことが干支(えと)だと思ってしまいますが、実は子・丑・寅だけでは「支」でしかありません。「干」の方も含め... 2025.01.03 日本史あれこれ
日本史あれこれ 藤堂高虎は7人の主君に仕えたが、転職は良くないのだろうか?~変な回数カウント再び!&情の高虎~ 今回は主君・豊臣秀長没後のお話で、一応6人目とされる豊臣秀吉に仕えます。前回に引き続き、「7人」のカウントがおかしなことになっています。そして最後の主君徳川家康が登場します。最後に、高虎の退職理由を改めて振り返りますが、高虎が見限った主君は... 2024.12.15 日本史あれこれ
日本史あれこれ 藤堂高虎は7人の主君に仕えたが、転職は良くないのだろうか?~ケンカっ早い高虎と運命の出会い~ 以前に少し藤堂高虎の話をしましたが、今回は現代の高虎の悪い評判について考えてみたいと思います。長くなるので、2回かに分けて書いていきますが、結論を言うと、別に悪くはないと思います。1回目は高虎が仕えた1~5人目の主君について見ていきます。何... 2024.12.10 日本史あれこれ