日本史あれこれ

日本史あれこれ

戦国時代にも国司がいた?ゲームでは弱小大名でも、実際はすごい?①~飛騨姉小路氏~

戦国時代に国司?と聞くと変な感じがしますが、実は国司とされた(名乗った?)戦国大名がいました。今回は国司の概要と飛騨国国司の姉小路氏についてお話します(次回は北畠氏と一条氏です)。姉小路氏はゲームどおりの弱小大名かと思いきや、いやいや意外に...
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初見では読めない国名・上野と下野はなぜこの読み方になったのか

日本の旧国名には難しい読み方のものがあります。なかでも最難関なのが上野・下野ではないでしょうか。どう考えても、漢字と読み方が一致していません。それは、実は消えた文字があったからです。今回は、なぜこのような読み方になったのかを解説します。読め...
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藤堂高虎は豊臣秀長・秀保の死後も恩を忘れていなかった~江戸時代になっても秀長の法事を続け、秀保の母と交流~

藤堂高虎と言えば、何度も主君を変えて出世した人物として、マイナスイメージを持たれがちです。しかし、豊臣秀長には秀長の死去まで15年、後継者・秀保にも秀保の死去まで仕えました。それだけではなく、秀長の没後は江戸時代まで秀長の法事を営み続けます...
史跡紹介

桑名・熱田の七里の渡しと争った四日市・熱田ルート~十里の渡し~

東海道五十三次の中で唯一の海上ルートとされる七里の渡し(熱田⇔桑名)。しかし、熱田を発着する海上ルートには「十里の渡し」というものもありました。これは熱田と四日市と結ぶルートでしたが、桑名を飛ばしたため、桑名と四日市の争いが起こります。十里...
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徳川家康の重臣・石川数正はなぜ出奔したのか?

2023年の大河ドラマ「どうする家康」でも登場した石川数正。石川数正のイメージの一つに、突然徳川家康のもとから豊臣秀吉のもとへ出奔した(寝返った)ことがあるでしょう。家康の重臣だった数正は、なぜ突然このような行動に出たのでしょうか。最近の研...
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ひらがなの由来はくずし字を見ればわかる~あ・い・う・え・おの由来~

今のひらがなの由来は漢字です。漢字のくずし字からひらがなができています。くずし字は、文字自体は今と同じですが、形がくずれていたり、続き書きしたりという文字です。今回はくずし字と、あ行のひらがなの由来となった文字を紹介します。くずし字とはくず...
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継体天皇の皇位継承と上村松園「花がたみ」に秘められた恋物語

日本の古代、聖徳太子よりも前の時代に、皇位継承が危機に瀕したことがありました。結果として即位したのは継体天皇です。しかし、その皇位継承には疑問も出されています。そこにはどんな説があるのか?全てではありませんが、その一部を紹介します。また、こ...
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五節供(五節句)とはいつなのか?~人日・上巳・端午・七夕・重陽~

「五節供(五節句)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?上巳(ひな祭り)・端午・七夕が特に有名です。あと2つは人日と重陽です。これはどのような節供(節句)なのでしょうか?今回はそれぞれの節供(節句)について紹介します。「節句」と「節供」...
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建国記念の日はなぜ2月11日なのか?由来は?神話に基づいた祝日と神武天皇の即位年

2月11日は建国記念の日です。でも、「建国」とは何を指すのでしょうか?今回は建国記念の日はなぜ2月11日なのか、由来となった神武天皇、それに加えて神話時代の天皇の在位期間がなぜ異常に長いのか?についてお話しします。建国記念の日の「建国」とは...
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東福門院徳川和子の入内3~夫・後水尾天皇の譲位と国母としての役割~

前回は和子に待望の皇子・高仁親王が誕生しますが、幼くして亡くなるところまでを見ました。一方で、後水尾天皇はこの皇子に将来譲位するつもりでいました。皇子が亡くなり、朝廷・幕府の関係も再び悪化する中、後水尾天皇は和子の娘への譲位を強行します。譲...