日本史あれこれ

史跡紹介

現代に残る寺内町・今井~江戸時代の町並み1~

今回は奈良県橿原市にある今井町を紹介します。今井町は戦国時代に寺内町が形成されました。寺内町とは、浄土真宗の寺院を中心に、周辺に形成された町で、環濠(堀)で周囲を囲まれているといった特徴があります。今井町では現在まで道路等が当時のまま残って...
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後水尾天皇の皇女・大通文智2~東福門院・藤堂家との関係~

前回は文智の生涯について見ていきました。今回は因縁の相手にも見える東福門院(徳川和子)や藤堂家との関係について見ていきます。実は文智と東福門院は良好な関係を築き、文智にとって東福門院は重要な存在になっていきます。また、藤堂家は江戸時代を通じ...
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後水尾天皇の皇女・大通文智1~朝廷と幕府の狭間でたくましく生きた生涯、朝廷から円照寺へ~

江戸時代の朝廷と幕府の関係で有名な事の一つに、徳川家康の孫(秀忠の娘)・和子の朝廷への入内(輿入れ)があります。実現したのは家康の没後ですが、生前から計画された朝廷・幕府の融和政策でした。後水尾天皇と結婚した和子は明正天皇を産み、国母とも称...
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戦国時代にも国司がいた?ゲームでは弱小大名でも、実際はすごい?②~伊勢北畠氏・土佐一条氏~

今回見ていくのは3国司の内、伊勢国の北畠氏と、土佐国の一条氏です。北畠氏はゲームでは弱小大名とまではいかないかもしれませんが、南北朝時代から室町幕府と渡り合ったたくましい一族です。そんな一族も最後は織田信長に屈します。一条氏は京都から遠く離...
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戦国時代にも国司がいた?ゲームでは弱小大名でも、実際はすごい?①~飛騨姉小路氏~

戦国時代に国司?と聞くと変な感じがしますが、実は国司とされた(名乗った?)戦国大名がいました。今回は国司の概要と飛騨国国司の姉小路氏についてお話します(次回は北畠氏と一条氏です)。姉小路氏はゲームどおりの弱小大名かと思いきや、いやいや意外に...
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初見では読めない国名・上野と下野はなぜこの読み方になったのか

日本の旧国名には難しい読み方のものがあります。なかでも最難関なのが上野・下野ではないでしょうか。どう考えても、漢字と読み方が一致していません。それは、実は消えた文字があったからです。今回は、なぜこのような読み方になったのかを解説します。読め...
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藤堂高虎は豊臣秀長・秀保の死後も恩を忘れていなかった~江戸時代になっても秀長の法事を続け、秀保の母と交流~

藤堂高虎と言えば、何度も主君を変えて出世した人物として、マイナスイメージを持たれがちです。しかし、豊臣秀長には秀長の死去まで15年、後継者・秀保にも秀保の死去まで仕えました。それだけではなく、秀長の没後は江戸時代まで秀長の法事を営み続けます...
史跡紹介

桑名・熱田の七里の渡しと争った四日市・熱田ルート~十里の渡し~

東海道五十三次の中で唯一の海上ルートとされる七里の渡し(熱田⇔桑名)。しかし、熱田を発着する海上ルートには「十里の渡し」というものもありました。これは熱田と四日市と結ぶルートでしたが、桑名を飛ばしたため、桑名と四日市の争いが起こります。十里...
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徳川家康の重臣・石川数正はなぜ出奔したのか?

2023年の大河ドラマ「どうする家康」でも登場した石川数正。石川数正のイメージの一つに、突然徳川家康のもとから豊臣秀吉のもとへ出奔した(寝返った)ことがあるでしょう。家康の重臣だった数正は、なぜ突然このような行動に出たのでしょうか。最近の研...
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ひらがなの由来はくずし字を見ればわかる~あ・い・う・え・おの由来~

今のひらがなの由来は漢字です。漢字のくずし字からひらがなができています。くずし字は、文字自体は今と同じですが、形がくずれていたり、続き書きしたりという文字です。今回はくずし字と、あ行のひらがなの由来となった文字を紹介します。くずし字とはくず...