日本史あれこれ

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藤堂高虎は7人の主君に仕えたが、転職は良くないのだろうか?~変な回数カウント再び!&情の高虎~

今回は主君・豊臣秀長没後のお話で、一応6人目とされる豊臣秀吉に仕えます。前回に引き続き、「7人」のカウントがおかしなことになっています。そして最後の主君徳川家康が登場します。最後に、高虎の退職理由を改めて振り返りますが、高虎が見限った主君は...
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藤堂高虎は7人の主君に仕えたが、転職は良くないのだろうか?~ケンカっ早い高虎と運命の出会い~

以前に少し藤堂高虎の話をしましたが、今回は現代の高虎の悪い評判について考えてみたいと思います。長くなるので、2回かに分けて書いていきますが、結論を言うと、別に悪くはないと思います。1回目は高虎が仕えた1~5人目の主君について見ていきます。何...
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名ピッチャー沢村栄治の故郷・伊勢市に残る痕跡を訪ねて~戦争に翻弄されたエース~

プロ野球で沢村賞という賞を聞いたことがあるでしょうか?優れたピッチャーに与えられる賞で、現在も続いています。この沢村賞の由来となったのが、戦前のプロ野球選手でピッチャーの沢村栄治です。今回は沢村栄治の出身地・三重県伊勢市に残るゆかりの地を訪...
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織田信長と細川藤孝・忠興〜信長の信頼を得た父子〜

東京都文京区の永青文庫で開催中の「信長の手紙」展に行って来ました。撮影はできないので、写真はありませんが、織田信長と細川藤孝・忠興父子の関係を少し紹介します。※ブログ公開時点で、展覧会の会期は明日(令和6年12月1日)までです。細川家・永青...
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徳川四天王・本多忠勝の最後の所領・桑名~猛将の終焉の地~

徳川四天王として名高い本多忠勝。少し戦国時代が好きな人ならまず知っている武将でしょう。数多くの戦いに出て、生涯で傷一つ負わなかったという猛将です。関ヶ原の戦いが終わり、平和な時代になった後、忠勝は伊勢国桑名(今の三重県桑名市)に転封となりま...
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なぜ「●●天皇」がいないのに、「後●●天皇」がいるのか

「後●●天皇」はいるのに、「●●天皇」は教科書や資料集、事典で出てこない。実は、「●●天皇」は知られていないだけで、いるのです。どういうことなのか、解説します。天皇と言えば誰?歴史上、神話時代も含めれば現在まで126代(南北朝時代の北朝を含...
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歴史上の人物で誰が好きですか?その人物のマイナス面をどれだけ知っていますか?

本当にその人物が好きですか?―マイナス面は?―歴史が好きな人は、歴史上の人物で「この人が好き!」という人がいることが多いと思います。歴史の楽しみ方は人それぞれだと思うので、どんなところが好きか?なぜ好きか?は人それぞれで良いのですが、私は、...
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ブログ名の由来~網野善彦「遍歴する人びと」から~

本ブログ最初の記事ということで、ブログ名である「遍歴(へんれき)」について書きたいと思います。「遍歴する人びと」は歴史学者の網野善彦氏の言葉で、歴史教科書ではなかなか見ることのない内容です。少しお堅い話になりますが、こだわりの名前でもあるの...