史跡紹介 江戸時代の上級武家屋敷~三重県・名張藤堂家邸跡~ 三重県にある名張市をご存じでしょうか?三重県の西部、奈良県と接する所にあります。あまり聞いたことが無い町かもしれませんが、名張は江戸時代に津藩藤堂家最大の家臣である名張藤堂家の拠点で、名張藤堂家の屋敷(城は無い)を中心に小城下町を形成してい... 2025.08.22 史跡紹介日本史あれこれ
史跡紹介 江戸の大名屋敷は現在どうなっている?~津藩藤堂家上屋敷跡~ 東京の秋葉原と言えば、多くの人が聞いたことがある地名でしょう。秋葉原駅より北、山手線より東の一帯は、江戸時代に大名屋敷が広がっていました。その中でも大きい屋敷を持っていたのは佐竹・藤堂・池田・立花・松浦・宗といった大名です(天保14(184... 2025.08.15 史跡紹介日本史あれこれ
日本史あれこれ ひらがなの由来はくずし字を見ればわかる~か・き・く・け・この由来~ 以前に、古文書に使われるフニャフニャの文字「くずし字」と、今のひらがなの由来を紹介しました。その時のひらがなは「あ行」だったので、今回は「か行」のひらがなの由来となった文字を紹介します。現在のか行の由来となった文字あ行と同じように、か行の各... 2025.08.08 日本史あれこれ
日本史あれこれ 江戸幕府が大名を城普請に動員したのはなぜなのか?2~大名を弱らせるためではなかった?大名統制と大名への配慮~ 前回は、公儀普請(幕府が大名を動員して行った城の普請)に関して、幕府が大名に対して行った配慮として、大名の疲弊等を理由に普請役(大名が城の普請に動員されること)を一定期間見送ったことを見てきました。今回は他に幕府が行った配慮である、大名への... 2025.08.01 日本史あれこれ
日本史あれこれ 江戸幕府が大名を城普請に動員したのはなぜなのか?1~大名を弱らせるためではなかった?大名統制と大名への配慮~ 「江戸幕府は大名の力を削減するために城の普請を行った」というイメージを持っていませんか?現在では、その考え方は改められています。実は大名が城の普請に動員されること(普請役)は、有名な「御恩と奉公」の「奉公」にあたるものと認識されていました。... 2025.07.25 日本史あれこれ
史跡紹介 現代に残る寺内町・今井~江戸時代の町並み2~ 今回は、前回に引き続き、奈良県橿原市にある今井町を紹介します。前回は今井町の歴史や防御施設(門跡・環濠)を見ました。今回は建物を中心に紹介します。今井町には多くの江戸時代の建物が残されており、復元等されたものも含めて古い町並みを作り出してい... 2025.07.18 史跡紹介日本史あれこれ
史跡紹介 現代に残る寺内町・今井~江戸時代の町並み1~ 今回は奈良県橿原市にある今井町を紹介します。今井町は戦国時代に寺内町が形成されました。寺内町とは、浄土真宗の寺院を中心に、周辺に形成された町で、環濠(堀)で周囲を囲まれているといった特徴があります。今井町では現在まで道路等が当時のまま残って... 2025.07.11 史跡紹介日本史あれこれ
日本史あれこれ 後水尾天皇の皇女・大通文智2~東福門院和子・藤堂家との関係~ 前回は文智の生涯について見ていきました。今回は因縁の相手にも見える東福門院(徳川和子)や藤堂家との関係について見ていきます。実は文智と東福門院は良好な関係を築き、文智にとって東福門院は重要な存在になっていきます。また、藤堂家は江戸時代を通じ... 2025.07.04 日本史あれこれ
日本史あれこれ 後水尾天皇の皇女・大通文智1~朝廷と幕府の狭間でたくましく生きた生涯、朝廷から円照寺へ~ 江戸時代の朝廷と幕府の関係で有名な事の一つに、徳川家康の孫(秀忠の娘)・和子の朝廷への入内(輿入れ)があります。実現したのは家康の没後ですが、生前から計画された朝廷・幕府の融和政策でした。後水尾天皇と結婚した和子は明正天皇を産み、国母とも称... 2025.06.27 日本史あれこれ
日本史あれこれ 戦国時代にも国司がいた?ゲームでは弱小大名でも、実際はすごい?②~伊勢北畠氏・土佐一条氏~ 今回見ていくのは3国司の内、伊勢国の北畠氏と、土佐国の一条氏です。北畠氏はゲームでは弱小大名とまではいかないかもしれませんが、南北朝時代から室町幕府と渡り合ったたくましい一族です。そんな一族も最後は織田信長に屈します。一条氏は京都から遠く離... 2025.06.13 日本史あれこれ