日本史あれこれ

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藤堂高虎の武勇伝2~何がすごい?勲章としての傷と遺訓~

今回は、前回に引き続き、戦国武将・藤堂高虎のお話です。前回は高虎の武勇伝を紹介しましたが、今回は数多の戦いを経験した勲章でもある戦傷と高虎の遺訓(高虎が実際に話した事かは不明)を紹介します。体の傷の数々前回見たように、高虎は特に若い時(但馬...
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藤堂高虎の武勇伝1~何がすごい?逸話の数々~

主君を7回変えたことで有名な戦国武将・藤堂高虎。戦国武将の中では有名なのか、有名とまではいかないのか、微妙な位置にいる武将ではないでしょうか。そんな藤堂高虎ですが、歴史上の人物に付き物の「逸話」にはどんなお話があるのでしょうか?今回と次回は...
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年号は2字とは限らない?過去に存在した4文字の年号

現在の年号(元号)は令和です。その前は平成、昭和、大正、明治、慶応・・・と、2字が続いています。しかし、奈良時代には4字の年号がありました。それも5つ連続、約20年にわたってです。なぜこの時代に4字となったのでしょうか?今回は年号の始まりや...
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史跡紹介

三重県名張市の古代寺院・夏見廃寺とは?

みなさんは「廃寺」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?その名の通り、今は廃止された(無くなった)お寺です。無くなった時代も様々ですが、三重県には(三重県に限ったことではないですが)古代には存在した廃寺がいくつかあります。今回はその中でも...
史跡紹介

江戸時代の上級武家屋敷~三重県・名張藤堂家邸跡~

三重県にある名張市をご存じでしょうか?三重県の西部、奈良県と接する所にあります。あまり聞いたことが無い町かもしれませんが、名張は江戸時代に津藩藤堂家最大の家臣である名張藤堂家の拠点で、名張藤堂家の屋敷(城は無い)を中心に小城下町を形成してい...
史跡紹介

江戸の大名屋敷は現在どうなっている?~津藩藤堂家上屋敷跡~

東京の秋葉原と言えば、多くの人が聞いたことがある地名でしょう。秋葉原駅より北、山手線より東の一帯は、江戸時代に大名屋敷が広がっていました。その中でも大きい屋敷を持っていたのは佐竹・藤堂・池田・立花・松浦・宗といった大名です(天保14(184...
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ひらがなの由来はくずし字を見ればわかる~か・き・く・け・この由来~

以前に、古文書に使われるフニャフニャの文字「くずし字」と、今のひらがなの由来を紹介しました。その時のひらがなは「あ行」だったので、今回は「か行」のひらがなの由来となった文字を紹介します。現在のか行の由来となった文字あ行と同じように、か行の各...
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江戸幕府が大名を城普請に動員したのはなぜなのか?2~大名を弱らせるためではなかった?大名統制と大名への配慮~

前回は、公儀普請(幕府が大名を動員して行った城の普請)に関して、幕府が大名に対して行った配慮として、大名の疲弊等を理由に普請役(大名が城の普請に動員されること)を一定期間見送ったことを見てきました。今回は他に幕府が行った配慮である、大名への...
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江戸幕府が大名を城普請に動員したのはなぜなのか?1~大名を弱らせるためではなかった?大名統制と大名への配慮~

「江戸幕府は大名の力を削減するために城の普請を行った」というイメージを持っていませんか?現在では、その考え方は改められています。実は大名が城の普請に動員されること(普請役)は、有名な「御恩と奉公」の「奉公」にあたるものと認識されていました。...
史跡紹介

現代に残る寺内町・今井~江戸時代の町並み2~

今回は、前回に引き続き、奈良県橿原市にある今井町を紹介します。前回は今井町の歴史や防御施設(門跡・環濠)を見ました。今回は建物を中心に紹介します。今井町には多くの江戸時代の建物が残されており、復元等されたものも含めて古い町並みを作り出してい...
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