先日、滋賀県の琵琶湖にある水中遺跡で、1万年以上前の縄文土器がほぼ完全形で見つかったというニュースが流れました。
でも、琵琶湖は有名ですが、「水中遺跡」とは?なぜ水中に遺跡が?なぜ水中に人が使う土器が?といったハテナがあるのではないでしょうか?そもそも、どうやって水中の遺跡を調査するのでしょうか?
今回は少しですが&文献からですが、琵琶湖の水中遺跡について紹介します。
琵琶湖の水中遺跡とは?
琵琶湖は滋賀県にある、日本一大きな湖です。って、みなさん知っていますよね。琵琶湖の水中遺跡は、その名の通り、琵琶湖の中(琵琶湖の湖底)にある遺跡です。
水中といっても、場所は陸地に近い所から深い水の底まで様々です。
水中はわかりますが、陸に近い所とはどこまでなのか?それは、満潮時に水中に沈んでいることです。常に水中にある部分はもちろん、干潮時には水に浸かっていなくても、満潮時に水に浸かっていれば、水中にある遺跡とされています。
普通は琵琶湖の水中に遺跡があるなんて想像しませんよね。琵琶湖の水中遺跡が見つかったのはまだ100年程前です。
大正13(1924)年に葛籠尾崎(つづらおざき、琵琶湖の北端にある2つの半島の内、東の半島)付近で、漁師の底引き網に土器が引っ掛かったことによって、その存在が知られました(葛籠尾崎湖底遺跡)。
なお、日本の水中遺跡としては、明治41(1908)年に発見された諏訪湖(長野県)の中の遺跡が最初です。その次に発見されたのが葛籠尾崎湖底遺跡でした。
この葛籠尾崎湖底遺跡を皮切りに、琵琶湖では現在まで78ヶ所の遺跡が発見されています(水中遺跡の数では、滋賀県は第2位。1位は沖縄県。)。全て陸地(島を含む)に近い所にあります。本格的な調査が始まったのは昭和48(1973)年からです。
時代は、古くは旧石器時代から、近代(明治維新~昭和20年の終戦までの時期区分名)までの遺跡があります。遺跡の種類も様々で、集落・貝塚・祭祀・港湾・城館・墓所・寺社・交通関係など、多種多様です。
ところで、水中にある遺跡の特徴として、陸上よりも遺物の保存状態がとても良いことがあります。
まず、水中は開発などの人の手が入りにくいことがあります。陸上だと、開発などで破壊されることがよくあります。そこに遺跡があると知らずに開発され、知らない内に遺跡が無くなってしまう場合さえありえます。これに対し、水中(水底)が開発で破壊されることは陸上に比べて圧倒的に少ないでしょう。
また、水中は陸上に比べて木製品や植物遺体が劣化しにくいという特徴があります。陸上でも、水分が多い場所から木製品が良好な状態で出土する例があります。琵琶湖の水中遺跡からは木の実・丸木舟・木製農工具・橋脚の基礎部材・木製神像・木札などが見つかっています。
なぜそこに遺跡が?
そういえば、陸に近い所とはいえ、なぜ水中に遺跡があるのでしょうか?単純に考えられるのは、昔は陸地だったところが現在は水中になっていること(水位上昇)ですね。それも理由の一つです。
他にも推定されている理由が3つあります。
- 水位上昇とは逆に、昔は陸地だったところが地盤沈下で水中に沈んだ。
- 琵琶湖を航行中の船から土器等が水中に投棄された。または船が沈んだ。
- 祭祀によって土器等が水中に投棄された。
水中に投棄された場合や船の沈没によるものは、恐らく土器等が水中に沈んでいるだけなので、一般的にイメージする「遺跡」(建物・溝・水田の跡が見つかる)とは少し違うかもしれません。
現在では想像しにくいかもしれませんが、昔の琵琶湖は重要な水運の場でした。現在でこそ電車や飛行機といった大量輸送手段がありますが、それらが無かった時代では(現代でも?)船は数少ない大量輸送手段でした。
例えば、日本海側から京都へ物資を運ぶ場合は、越前国(現在の福井県)の敦賀港まで船で運んで陸揚げ→琵琶湖北端の塩津港まで陸路→塩津港から琵琶湖上を船で運ぶ→大津で陸揚げ→京都まで陸路となります。もちろん、これ以外にもルートはあります(例えば鯖街道)が、敦賀→琵琶湖→京都のルートは主要ルートの一つでした。
水中をどうやって調べる?
「遺跡の調査」というと、土を掘り下げていって、土器や柱穴・溝などを発見する・掘り出すというイメージですね。では、水中にある遺跡はどうやって調査するのでしょうか。それは主に次のような方法です。
- 潜水調査。湖底に水を吹き付けて土を掘り、綺麗な水を入れた透明の箱を押し付け、土の様子を観察(←参考文献に書いてあったが、どんな方法かよくわかりませんでした)。または土砂を船に引き揚げて、土砂の中から遺物を探す。調査と潜水の両方ができる人が必要なので、できる人も限られて過酷な作業になりそうな気がします。
- 調査する所の周囲に堤防を作ったり鉄板を立てたりして、水を抜いて陸地化する。この方法であれば、陸地化した後は、陸上と同じ方法で調査できます。堤防や鉄板で囲んで陸地化するのは川の工事とかでも見かけますね。大掛かりで、費用はかかりそうですが、陸地化すれば、後は普通の(陸上の)調査になりますね。
- 遺跡の3Dモデルを作る。水中で写真を多数撮影し、写真を基にデジタル技術により3Dモデルを作ります。この技術はフォトグラメトリといいます。水中調査だけでなく、例えば陸上にある石造物(例えば石灯籠)の3Dモデルを作る時などにも用いられる方法です。まだまだできる人が限られそうですが、今後の技術進歩にも期待です。
更に、今回のニュースによると、また新たな方法が編み出されたようです(後述)。
何がある?
では、琵琶湖の水中遺跡からはどんなモノや遺構が見つかっているのでしょうか?
琵琶湖最古の旧石器時代の遺跡からは石器が出土しています(大津市螢谷遺跡)。縄文時代の遺跡からは貝塚(大津市粟津湖底遺跡)、丸木舟(長浜市尾上浜遺跡・近江八幡市長命寺湖底遺跡)が発見されています。弥生時代の遺跡からは集落・水田跡(高島市針江浜遺跡)、竪穴建物(草津市烏丸崎遺跡)が見つかっています。
他にも、長浜市塩津港遺跡では古代から中世の港湾・神社の跡が見つかり、守山市赤野井湾湖底遺跡では遺物(特に瓦)が広範囲に広がっています。大津市唐橋遺跡では飛鳥時代の橋脚遺構、彦根市多景島遺跡・大津市浮御堂遺跡の湖底からは古墳時代から近現代までの湖上祭祀に関する遺物(古銭や「かわらけ」という皿)が発見されています。
粟津湖底遺跡では、動植物遺体が見つかり、泥土の堆積状況も含めて各時代の琵琶湖の自然環境を知ることができます。
見つかるのはモノだけではありません。針江浜遺跡や塩津港遺跡では、縄文時代から平安時代までの地震の痕跡(噴砂、津波の痕跡など)が見つかっています。これらから、過去の地震の規模などがわかり、防災にも役立つそうです。
針江浜遺跡(琵琶湖北西部)では、現在の湖岸から250m離れた湖底で、同じ方向に倒れた複数の樹木が見つかっています。これは津波が押し寄せた痕跡と考えられており、海だけでなく、琵琶湖でも過去に地震による津波が発生したことがわかります。
東日本大震災以来、海沿いでは過去の津波犠牲者の供養塔や、「津波がここまで来た」ということを示す石造物が話題になっています。海ではありませんが、琵琶湖の水中遺跡も津波の痕跡を今に伝える貴重なものでしょう。琵琶湖でも津波が起きていたのです。
葛籠尾崎湖底遺跡
今回のニュースで出ていたのは、最初にも書いた、葛籠尾崎(つづらおざき)湖底遺跡です。
繰り返しになりますが、ここは琵琶湖の水中遺跡の中で最初に発見された遺跡です。琵琶湖の北端にある葛籠尾崎の周辺にあります。陸地から10~700m、南北数㎞が遺跡の範囲です。
大正13(1924)年に漁師の底引き網に土器が引っ掛かったことによって、その存在が知られました。
この遺跡からは、縄文時代早期(約1万年前)から江戸時代にかけての土器・石器等約200点が出土しています。豊富な遺物がある一方で、なぜ湖底にこれらの遺物があるのか、その理由は明らかになっていません。時代によって遺物の分布範囲は異なっているので、遺跡ができた原因は時期・場所によって異なるようです。
今回のニュースは、この葛籠尾崎湖底遺跡で1万年以上前とみられる縄文土器が、ほぼ完全形(破損が殆ど無い状態)で見つかったというものです。見つかった場所は水深約64mの所です。葛籠尾崎周辺は陸地からすぐに水深が深くなっており、70m超の所もあります。水中のV字谷のようになっています。
水中ということで、土砂で潰されることもなく、土器は原形を維持していたようです。
他にも、古墳時代の甕6個が集中して沈んでいることが確認されました。その内3個は1列に並んでおり、船から積み荷がまとめて落下した可能性があるとされています。
今回の調査は海底ケーブルの敷設状況調査等に使われる無人潜水機が初めて使用されました。LEDで照らしながら4台のカメラで撮影し、3Dモデルを作成して、湖底の地形や遺物の状況を把握したようです。3Dモデルを作るという工程は従来の(と言っても新しいが)技術を使っており、複数の技術の融合ですね。
以上が琵琶湖の水中遺跡の概要です。ニュースを見て、前に文献で見たことがあったので、急ぎまとめました。あまり詳しくは書けませんでしたが、「水中に遺跡がある」ということには意外性もあるのではないでしょうか?
陸上の遺跡とは異なり、調査が難しいため、水中遺跡の実態はまだ不明な点が多そうです。最近も新しい技術が導入されているので、今後も琵琶湖の水中には何が眠っているのか、徐々に明らかになっていくことでしょう。
《参考文献》
- 「水中遺跡の謎と魅力」(滋賀県文化財保護課、2024年)
- 文化庁編『発掘された日本列島2025』(共同通信社、2025年)
- 中日新聞(2025年11月26日)記事

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