現代に残る寺内町・今井~江戸時代の町並み2~

今回は、前回に引き続き、奈良県橿原市にある今井町を紹介します。

前回は今井町の歴史や防御施設(門跡・環濠)を見ました。今回は建物を中心に紹介します。今井町には多くの江戸時代の建物が残されており、復元等されたものも含めて古い町並みを作り出しています。内部が見学できる建物もあります。

今井町の建物~寺院と町並み~

まずは、今井町に残る寺院や町並みを見ていきましょう。

改めてマップ(前回の記事に掲載のものと同じ)を載せておきます。前回と同様に、以下では、このマップで番号やアルファベットがある所は【 】で番号・アルファベットを併記します。

華甍等で配布のパンフレットより引用

①称念寺【I】

まずは寺内町形成の中心となった寺院・称念寺です。

称念寺(浄土真宗本願寺派)は今井町の南部、南口門跡から北へ進んだ先の突き当りの右側にあります。

敷地はそれほど大きくありませんが、大きな本堂は重要文化財に指定されています。建立時期は遅くとも17世紀初期(江戸時代初め)とされています。庫裏や客殿も17世紀初期頃の建物とみられています。明治10(1877)年には明治天皇が今井町を訪れ、称念寺に滞在しました。

本堂
太皷楼

②旧常福寺

旧常福寺(天台宗)は今井町の南西角(復元環濠のすぐ内側)にあります。常福寺は明治時代の初めに廃寺になり、現在は春日神社となっています。境内には旧常福寺の観音堂(橿原市指定文化財)【M】や行者堂、表門(橿原市指定文化財)【Q】が残っています。

観音堂
行者堂
表門

観音堂は慶長18(1613)年の棟札が残っており、この頃の建立と考えられます。

行者堂は寛政5(1793)年に再建された記録が残っています。修験道の開祖とされる役行者を祀っています。

③順明寺【P】

順明寺(浄土真宗本願寺派)は今井町の北部、北口門跡から南へ入った所にあります。寛永3(1626)年に今井町に移転してきました。建物の内、表門は寛永期(1624~44年)頃の建築とみられています。本堂は江戸時代初め頃の建物でしたが、昭和47(1972)年の解体修理時に規模が縮小されました。明治時代には英昭皇太后(孝明天皇の女御)が宿泊しています。

表門
本堂

④西光寺

西光寺は旧米谷家住宅【F】から東へ行った所にあります。文禄4(1595)年には既に寺が存在したことがわかっています。

本堂は焼失後に再建されたもので、19世紀前半頃の建築とみられています。明治7年にはこの本堂が文明舎という学校として開校しました(現在の今井小学校の前身)。

本堂

他にも鐘楼(写真は撮影し忘れました)は元禄3(1690)年の建築です。表門も元禄期(1688~1704年)頃の建築とみられています。

表門

⑤町並み

次は今井町の町並みの写真を紹介します。復元された建物も混ざっていると思いますが、江戸時代の雰囲気を十分感じることができます。御覧のとおり、今井町では多くの所で電柱・電線を見かけません。恐らく町並み整備のために地中に埋めていると思われます。

北尊坊門跡から南を臨む
紙半豊田記念館前
今井つどい館もより【6】前
旧西町生活広場【9】前
今井まちや館【3】前
旧米谷家住宅【F】前

今井町の建物~各住宅~

ここからは町並みの中にある江戸時代の住宅を紹介します。

※旧豊田本家住宅は紙半豊田記念館とセットであるため、後ほど紹介します。

「●●家住宅」とあるものは、旧米谷家住宅を除いて現在も実際に居住されています。見学可能(時期による)な住宅もありますが、立入禁止部分もあるので、しっかり確認しましょう。

①今西家住宅【A】(重要文化財)

最初は今西家住宅です。住宅は町の西端、復元環濠の北端付近(西口門跡付近)にあります。

今西家は代々今井町の惣年寄筆頭を務めました。先祖が永禄9(1566)年に今井町に居住したと伝えられています。この建物は慶安3年(1650)年に建てられました。見学には事前予約が必要です。

今西家住宅

②豊田家住宅【B】(重要文化財)

豊田家住宅は今西家のある東西の通りの一本南の通り、今西家から見ると東南東にあります。

豊田家の屋号は「西ノ木屋」で、建物正面の上部には「木」の文字が付いています。鬼瓦に刻まれた年号から、寛文2(1662)年に建てられたことがわかっています。

豊田家住宅
豊田家住宅「木」の文字

③中橋家住宅【C】(重要文化財)

中橋家住宅は豊田家から少し東に行った所にあります。有料ですが、内部は公開されています(非公開の期間もあるかもしれないので、御注意ください)

中橋家は寛延元(1748)年の絵図では現在の位置に屋敷が描かれています。下の写真で玄関の右にある連子窓は当初建てられた時のものです。

中橋家住宅

④河合家住宅【G】(重要文化財)

河合家住宅は今井町の東の方、中尊坊門跡から西へ行った所にあり、18世紀中頃に建てられたものです。残念ながら、住宅前の案内板は文字の剥離が激しく、あまり読むことができません。

現在も酒造業を営んでいるようで、一部は無料で公開されています。見学できる内部を奥まで進むと、酒造関係の道具が展示されています。

河合家住宅

⑤高木家住宅【H】(重要文化財)

高木家住宅は河合家住宅のすぐ東にあり、主屋は19世紀初めに建てられたものです。ただし、2階部分は少し後の時期のようです。

高木家住宅

有料ですが、内部は公開されています(非公開の期間もあるかもしれないので、御注意ください)。中では詳しく説明を聞くことができました。土間の部分では、かまどや高い天井を見ることができます。

かまど
土間の天井

また、火縄銃や様々な民具等も展示されています。

書院

⑥旧米谷家住宅【F】(重要文化財)

旧米谷家住宅は河合家・高木家住宅のある東西の通りの一本北の通りを西に行くとあります。

主屋は18世紀中頃に建てられたとみられています。現在の建物は、以前に解体調査され、資料に基づいて当初の姿に復元されたものです。但し、一部は推定復元です。

名称が「旧」米谷家とあるように、元々は米谷家の所有でしたが、昭和31(1956)年に国有化された建物で、現在は無料公開されています。

旧米谷家住宅

内部はこんな感じです。説明をしてくれる人もいます。

丁場
天井

⑦音村家住宅【E】(重要文化財)

音村家住宅は旧米谷家の2軒西にあります。

主屋は17世紀後半頃に建てられ、安政2(1855)年に改修されました。当初の建物の姿は、最初に紹介した展示施設・華甍で展示されています。

音村家住宅

⑧上田家住宅【D】(重要文化財)

上田家住宅は音村家住宅から2つ西の角を右(北)へ曲がった先のT字路の右側にあります。

上田家は今西家と同じく今井町の惣年寄を務めた家です。主屋は延享元(1744)年以前に遡るとみられています。天保9(1838)年には大修理が施されました。現在はその天保期の状態に修復されています。

これまで紹介した家々とこの後紹介する吉村家(旧上田家)・山尾家住宅は、いずれも出入口が東西の通りに面して北又は南向きになっていますが、上田家住宅は南北の通りに面して西向きになっています。また、これも他の家々と異なり、出入口が道路から約2m奥にあります。

上田家住宅

⑨吉村家(旧上田家)住宅【J】(奈良県指定文化財)

吉村家住宅は上田家住宅の東の交差点を北に行くと、次の交差点の南西角にあります。

当初は上田家が所有していましたが、昭和55(1980)年に吉村家の所有になりました。主屋は文化2(1805)年に再建されたものです。奥にある蔵などは更に約50年遡るようです。

吉村家住宅

⑩山尾家住宅【K】(奈良県指定文化財)

山尾家住宅は吉村家住宅から東へ進み、次の交差点の手前、道の左側(北側)にあります。

山尾家は江戸時代に町年寄を務めた家です。主屋は18世紀後半頃に建てられたとみられています。座敷には文政3(1820)年の棟札があるので、この年の建設であることがわかります。外観を見ると、損傷が多いように見えます。

吉村家住宅

なお、明治10(1877)年に明治天皇が今井町を訪れた際には、木戸孝允・三条実美が山尾家住宅に宿泊しています。

以上が今井町で見ることができる江戸時代(一部復元)の主な住宅です。町並みも素晴らしいですが、一部の見学可能な住宅では、江戸時代の貴重な建物の内部も見ることができます。

今井町の資料館等

最後に、華甍・寺院・住宅以外の資料館等を紹介します。

①紙半豊田記念館・旧豊田本家住宅

紙半豊田記念館・旧豊田本家住宅は先ほどの豊田家住宅【B】の西方にあります。道の北側が紙半豊田記念館、その反対側(南側)が旧豊田本家です。

紙半豊田記念館
旧豊田本家住宅

豊田本家は寛文6(1666)年には既に今井町で商売を行っていました。最初は肥料を扱っていましたが、後に両替商に変わり、豪商になりました。今井町の商家の中では最古とされ、近隣大名への金貸し等で栄えました。

明治時代になると大名からの返済がなされず、課税強化等もあって衰退しましたが、江戸時代から行っていた林業や酒造業を続けることで現在に至っています。

紙半豊田記念館は、そんな豊田家の商売関係の史料や当主が収集した美術品等が展示されています(内部は撮影禁止)。説明をしてくれる職員もいます。

ちなみに、屋号である「紙半」とは、6代目当主の紙屋半三郎の名前が由来です(ただし商売で紙は取り扱っていませんでした)。

記念館の反対側にある旧豊田本家住宅は、内部を一部見学でき、ここにも資料が展示されています(撮影可)。

②今井まちや館【3】

今井まちや館は中橋家住宅【C】の北にあります。

今井まちや館

ここは18世紀初め頃の建物で、明治以降に荒廃が進んでいましたが、古材も利用しながら復元されたものです。

中に入ることができ、建物の解説をしてもらえます。復元とはいえ、高木家や旧米谷家住宅のように、江戸時代の建物の造りを見ることができます。

上の写真中央に見えるハシゴからは「つし二階」と呼ばれる屋根裏のような部屋に上がることができます。ハシゴはかなり急なので、上り下りには注意が必要です(いや、本当に怖いです)。

ハシゴ下から
ハシゴ上から

つし二階はかなり天井が低いですが、秘密基地のような感じがします。今まで2階を見学できる住宅は無かったので、窓からは少し違う視点で今井町の町並みを見ることもできます。

つし二階

以上が今井の寺内町です。町はそれほど広くはなく、歩いて端から端まで何往復かしても長時間はかかりません。ただ、内部を見学できるところが何ヶ所かあるので、全てをじっくり見ると2~3時間はかかります。

日本では各地に江戸時代の町並みを残した地域がありますが、今井町もその一つです(しかもかなり町並みが整備されている方だと思います)。しかし、京都をはじめとした有名な観光地ほど知られていないのではないでしょうか。

現在も実際に居住されている住宅が多い(=生活空間である)ことや、観光客が少ないことが逆に良い雰囲気を醸し出していることを考えると、観光客が多すぎても良くないと思いますが、もっと注目されてもよい町だと思います。

名古屋・京都・大阪(難波・上本町・鶴橋など)からは近鉄で八木駅まで乗換え無しで行くこともできるので、アクセスも良いです。一度、現代に残る(一部整備・復元されたものも含むが)江戸時代の町並み・今井町を訪れてみてはいかがでしょうか。

※記事の内容は2025年6月時点のものです。

《参考文献》

  • 現地の案内板・パンフレット・華甍展示解説

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