徳川四天王・本多忠勝のゆかりの地・桑名を巡る2~浄土寺・多度大社~

前回は本多忠勝ゆかりの地の内、桑名城と桑名宗社を紹介しました。今回は続いて忠勝の菩提寺である浄土寺と、忠勝が再興に尽力した多度大社を巡ります。

浄土寺~本多忠勝墓所~

桑名宗社の拝殿前の広場から北へ向かうと小さな門から道へ出ることができます。そのまま北へ行くと、大きな通りに戻ります。左へ曲がり、信号交差点(田町交差点)を過ぎると田町のバス停に戻ります。次はバス停から北へ歩いて浄土寺に向かいます。バス停から徒歩2~3分です。

バス停の前の銀行の角を右(北)へ曲がって真っすぐ行き、2つ目の交差点を左折して少し行くと右側に浄土寺があります。入口には大きく「本多平八郎忠勝公本廟」と記した石碑があります。

※駐車場は境内への入口横にあります。

浄土寺入口

浄土寺は当初田町付近にありましたが、忠勝は桑名へ移るとすぐに浄土寺を菩提寺とし、現在地(清水町)へ移しました。

桑名への転封から9年後、慶長15(1610)年10月15日、忠勝は桑名で死去しました。恐らく殆ど知られていないと思いますが、徳川四天王・本多忠勝の墓はここ桑名にあるのです。

子・忠政は忠勝の戒名(西岸院殿)を取って西岸寺と名付けた寺を浄土寺の境内に建立しました。西岸寺は忠政が姫路へ転封する際に一緒に姫路に移りましたが、忠勝の墓は浄土寺に残りました。

本多忠勝の墓は一般の墓地内にありますので、他の参拝者の迷惑にならないように注意しましょう。

忠勝の墓石は基壇の上に立つ、花崗岩製の笠付石塔です。鳥居もあるなど、墓地の中で特別な空間となっています。江戸時代の「久波奈名所図会」には覆屋のある霊廟が描かれています(現在は覆屋は無い)。台座には本多家の家紋である葵も見えます。

本多忠勝墓所

墓石の正面には「西岸院殿長誉良信大居士」と忠勝の戒名が刻まれています。右面には「桑名初代藩主」、左面には「本多平八郎忠勝公」とあります。但し、忠勝の時代には「藩」という呼び方はしないことや、忠勝の名前に敬称の「公」があることから、後の時代に追加で彫られた文字でしょう。

鳥居があるので特別な空間であることはわかりますが、何も言われなければ、まさか徳川四天王・本多忠勝の墓がここにあるとは気付かないでしょう。それぐらい(有名な武将の墓としては)質素な感じがします。

でも、私は忠勝に豪壮さは感じても過度な派手さは感じないので、この墓は忠勝らしい気がします。

お寺では入口に忠勝の墓があることを示し、門の裏側には忠勝の鎧や蜻蛉切が描かれるなど、PRしていると思います。しかし、一般的に忠勝=桑名という連想がされないためか、私が参拝している間も他の参拝者はいませんでした(墓なので、賑わうのが良いとも言えないが)。徳川四天王の墓ならもっとファンが訪れても良い気が…。少し寂しい…。

多度大社

浄土寺から田町バス停に戻ってバスに乗り、桑名駅へ戻ります(行きと逆ルート)。バスは行きと同じく1時間に3本程度あります。徒歩の場合は約15分です。

次は多度大社へ向かうため、桑名駅から養老鉄道に乗り、多度駅で降ります。養老鉄道は40分に1本程度の運行です。養老鉄道は他社から購入した中古車両も走っているので、いろいろな車両を見ることができます。

降りた多度駅ホームには可愛い駅名標があります。馬の姿をしているのは、多度大社の上げ馬神事にちなむのでしょう。

多度駅の駅名標

多度駅から多度大社までは1.5km余りあります。徒歩で約25分です。コミュニティバスもありますが、3~4時間に1本程度なので、乗るのは難しいかもしれません。

多度駅から北へ進むと多度橋があります。橋を渡ったところ(道の反対側には農協がある)で左折し、そのまま多度大社までは道なりです。道は舗装が黄土色になっており、古い感じの建物も見られる等、良い雰囲気です。

道の途中には「宮川清めの池」というところがあります。多度橋から多度大社までの中間あたりです。

宮川清めの池

宮川というのはこの場所の名前らしいです。江戸時代中頃(1750年頃)にはこの地に存在した池で、多度大社の参拝者がここで手を洗って口をすすぎ、身を清めていたようです。池の横には大きな常夜灯があり、幕末の文久元(1861)年の銘があります。

池からしばらく進むと、やがて多度大社の鳥居(下の写真)が見えます。

この鳥居の先の坂を下っていくと、右に多度大社へ登っていく参道が見えます。この日は催しがあり、人が多かったです。

参道入口

多度大社は雄略天皇(倭の五王・武)の頃に現在地に社殿が造営されたとされています。奈良時代には神宮寺が創建され、史料にも多度大社の壮麗さが記されています。しかし、元亀2(1571)年に織田信長の兵火により焼失しました。

本多忠勝は桑名に転封となった後、慶長10(1605)年に多度大社を再興します。忠勝は社領も寄進し、経済基盤が整ったことで多度大社は復興を遂げます。

現在も起源が南北朝時代に遡るとされる上げ馬神事が有名です。この神事も織田信長の兵火で中断しますが、忠勝をはじめとした歴代藩主により復興されました。

このように、多度大社が現在に続いているのは初代桑名藩主となった本多忠勝による復興が重要であったことがわかります。

階段を上って鳥居をくぐり、参道を進んでいきます。

参道の途中

一番奥まで行くと、橋の向こうに2つの建物が見えます。向かって左が本宮、右が別宮です。木々の中、静寂に包まれた空間でした。

本宮(左)・別宮(右)

参拝を終え、多度大社を後にして来た道を戻ります。駅前では見かけませんでしたが、多度大社の前にタクシーがいれば、タクシーを使うのもありかもしれません。往復歩きは少し疲れます。多度駅に戻ったら、再び養老鉄道で桑名駅へ戻ります。

以上が今回の桑名の本多忠勝ゆかりの地めぐりです。行った所は多くはありませんが、それでも忠勝の功績を感じることができます。

忠勝が桑名城を改修し、桑名の町を整備し、桑名宗社や多度大社の復興に尽力したからこそ、私たちが今その姿を見ることができるのだと思います。浄土寺では今も桑名を見守っているであろう忠勝を偲ぶことができます。

今回行った所は一日あれば十分回ることができます(私は朝桑名駅に着いたのが9時半頃で、多度から桑名駅に戻ってきたのが15時30分過ぎでした)。ただ、歩くところも多いので、そこは御注意ください。

※記事の内容は2024年11月時点のものです。

《参考文献》

  • 『徳川四天王の城―桑名城絵図展―』(桑名市博物館展覧会図録、2016年)
  • 『本多忠勝と桑名』(桑名市博物館特別企画展図録、2021年)

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