年号は2字とは限らない?過去に存在した4文字の年号

現在の年号(元号)は令和です。その前は平成、昭和、大正、明治、慶応・・・と、2字が続いています。しかし、奈良時代には4字の年号がありました。それも5つ連続、約20年にわたってです。なぜこの時代に4字となったのでしょうか?今回は年号の始まりや改元理由、4字年号の経緯等について見ていきます。

年号の始まり

年号は元々中国でできたもので、前漢の武帝の時代、建元元(紀元前140)年が最初とされています。

日本で最初の年号は、大化とされています。大化の改新で有名ですね。続いて白雉(はくち)となりますが、654年で一旦途絶えます。次に用いられたのは朱鳥(しゅちょう)で、686年にだけ用いられました。この頃は、年号の使用が定着しなかったとか、実際は年号は存在しなかったとか、いろいろと説があるようです。

またしばらく間が空いて、次の年号は大宝(701年から)となります。大宝律令で有名です。この大宝から現在の令和までは途切れることなく続いています。

年号の数

現在は、天皇が変わると年号も変わります。平成から令和への改元は記憶に新しいところです。しかし、天皇1代につき年号1つ(一世一元の制)となったのは明治以降です。

江戸時代までは天皇が変わらなくても、良い事・悪い事があった時や、変革が起きるとされている一定の干支(十干十二支)の年に改元されました。

また、平安時代以降は、天皇の代替わりと同時の改元ではなく、翌年以降に代替わりに伴う改元が行われました。この代替わりに伴う改元は殆どの天皇で見られるようです。

改元の理由がこのようであるため、年号にはやはり縁起の良い言葉が使われています。中国の書物に由来するものが多いようです。

私は「永久」という年号が面白いな、と思います。永久の由来は不明なようですが、良い時代がずっと続くような意味があるように感じます(完全に個人の感覚です)。ただ、永久は僅か5年ほどの運命でした…。

4字の年号

年号が続けて使用されるようになって間もない頃、奈良時代に4字の年号が続けて登場します。それは次の5つです。

  • 天平感宝(749年)
  • 天平勝宝(749~757年)
  • 天平宝字(757~765年)
  • 天平神護(765~767年)
  • 神護景雲(767~770年)

余談ですが、天平感宝は749年だけです。つまり、749年は1年で3つの年号(天平が約3ヶ月半、天平感宝が約2ヶ月半、天平勝宝が約6か月)が使われた年になります。

何故4字なのか

さて、何故この時期に年号が4字になったのでしょうか。

最初の4字年号が誕生した天平感宝元(749)年は聖武天皇の在位最後の年です。この頃は東大寺大仏の造立途中で、必要な金(gold)が不足していました。しかし、ちょうど陸奥国で金が産出したという報告が朝廷へ届きます。

この金の産出を契機として、年号がそれまでの天平から天平感宝に改められたのです。聖武天皇は、現在の年号「天平」に文字を加えて新年号を定めると言っており、「天平」+「感宝」で天平感宝となりました。

4字年号は、中国の唐の時代、有名な武則天(則天武后)が4字年号を用いたことを真似たとされています。則天武后が4字年号を用いたのは、日本よりも約50年前の695~697の間です。

この頃は中国にならった政策(例えば国の機関名や職名を中国風の名前にすること)が実際されているので、年号もその一環でしょうか?

4字年号それぞれの改元

4字年号の改元理由は次のとおりです。

  • 天平感宝は、金(宝)の産出による改元。(宝の産出に感じ入ったという意味でしょうか?)
  • 天平勝宝は、聖武天皇に代わって孝謙天皇が即位したことによる改元。
  • 天平宝字は、謎の文字列をなす蚕の卵が献上され、これは「神異」(人間の知恵を超えた神秘)によってめでたい文字が出現したと解釈されたことによる改元。
  • 天平神護は、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱を神霊の加護で平定したと考えられたことによる改元。
  • 神護景雲は、平城京や伊勢の上空に五色の雲が現れたことによる改元。

神護景雲が最後の4字年号ですが、ここで初めて「天平」の2字が消えます。前の年号の内の「神護」を残し、めでたい雲の出現による「景雲」を合わせたのでしょうか?これまで通りなら、「天平景雲」になりそうですが、恵美押勝の乱の平定に関する「神護」が余程印象深く残っていたのでしょうか?

4字年号の終わり

神護景雲4年、称徳天皇が崩御します。次に即位したのは光仁天皇です。4字年号の時代の天皇は天武天皇(主に天武天皇の曾孫の聖武天皇)の系統(聖武・孝謙・淳仁・称徳(孝謙の再即位))でした。光仁天皇は天智天皇の系統です。

光仁天皇の即位に伴って改元が行われ、年号は神護景雲から宝亀に変わります。年号の由来は、白い亀が相次いで献上され、めでたいとされたことによります。

光仁天皇は4字年号の時代に行われた政策を否定することも少なくなかったといいます(ただし、継承された政策も多い)。4字年号時代には中国を真似た政策が行われており、4字年号も中国にならっていました。

なので、4字年号時代の政策を否定する中の一つとして、2字年号に戻したのでしょうか(これは私の想像です)。また、天皇の系統が天武系から天智系に大きく変わったのも理由かもしれません(これも想像です)。

ともかく、時代はこれを機に変わっていったのかもしれません。光仁天皇の子は後に長岡京・平安京へ遷都し、平安時代の開幕を告げる桓武天皇です。光仁天皇の即位は時代が変わる前夜という感じがします。

《参考文献》

  • 米田雄介編『歴代天皇年号事典』(吉川弘文館、2003年)
  • 吉川真司『聖武天皇と仏都平城京』(講談社、2011年)

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