2025-05

日本史あれこれ

初見では読めない国名・上野と下野はなぜこの読み方になったのか

日本の旧国名には難しい読み方のものがあります。なかでも最難関なのが上野・下野ではないでしょうか。どう考えても、漢字と読み方が一致していません。それは、実は消えた文字があったからです。今回は、なぜこのような読み方になったのかを解説します。読め...
日本史あれこれ

藤堂高虎は豊臣秀長・秀保の死後も恩を忘れていなかった~江戸時代になっても秀長の法事を続け、秀保の母と交流~

藤堂高虎と言えば、何度も主君を変えて出世した人物として、マイナスイメージを持たれがちです。しかし、豊臣秀長には秀長の死去まで15年、後継者・秀保にも秀保の死去まで仕えました。それだけではなく、秀長の没後は江戸時代まで秀長の法事を営み続けます...
史跡紹介

大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)はどんなところ?

歴史の授業で登場する大仙古墳(大仙陵古墳とも。以下「大仙古墳」と表記。)。昔は仁徳天皇陵と言われていましたが、今は大仙古墳と呼ばれます。それは何故なのか?どのくらい大きいのか?今回は大仙古墳がどんなところなのかを紹介します。なぜ名前が変わっ...
史跡紹介

桑名・熱田の七里の渡しと争った四日市・熱田ルート~十里の渡し~

東海道五十三次の中で唯一の海上ルートとされる七里の渡し(熱田⇔桑名)。しかし、熱田を発着する海上ルートには「十里の渡し」というものもありました。これは熱田と四日市と結ぶルートでしたが、桑名を飛ばしたため、桑名と四日市の争いが起こります。十里...