日本史あれこれ 東福門院徳川和子の入内3~夫・後水尾天皇の譲位と国母としての役割~ 前回は和子に待望の皇子・高仁親王が誕生しますが、幼くして亡くなるところまでを見ました。一方で、後水尾天皇はこの皇子に将来譲位するつもりでいました。皇子が亡くなり、朝廷・幕府の関係も再び悪化する中、後水尾天皇は和子の娘への譲位を強行します。譲... 2025.01.31 日本史あれこれ
日本史あれこれ 東福門院徳川和子の入内2~入内と皇子の誕生~ 前回は当時の朝廷・幕府の関係と、和子の入内に向けた動きについて見ました。たびたび延期された入内ですが、ついに暗礁に乗り上げてしまいました。ここで登場するのが大名・藤堂高虎です。彼によって入内の話はまとまります。今回は再開された入内交渉から、... 2025.01.24 日本史あれこれ
日本史あれこれ 東福門院徳川和子の入内1~紆余曲折の入内交渉~ 江戸時代の初め、徳川将軍家から朝廷へ輿入れ(入内=じゅだい)した女性がいました。女性の名は和子。徳川家康の孫で、秀忠と江与の娘です。朝廷・幕府の融和政策としての入内構想から実際の入内までは長い年月を要し、紆余曲折がありました。和子は後水尾天... 2025.01.17 日本史あれこれ
日本史あれこれ 大化の改新=蘇我入鹿を討った事件ではない?~乙巳の変と改新の政治~ 大化の改新とは、中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した事件。というのは正確ではありません。この事件には別の名があります。大化の改新とはこの事件を指すのではなく、この事件の後の一連の政治改革を指す言葉です。今回はこの事件の経過と大化の改新の... 2025.01.10 日本史あれこれ
日本史あれこれ 「子・丑・寅=干支(えと)」というのは正しくない?~ちょっと複雑な仕組みと還暦・甲子園・あの戦い・あの革命~ あけましておめでとうございます。今年(令和7年)は巳年ですね。正確には乙巳の年です。みなさんも聞いたことがある干支(えと)。子・丑・寅のことが干支(えと)だと思ってしまいますが、実は子・丑・寅だけでは「支」でしかありません。「干」の方も含め... 2025.01.03 日本史あれこれ